誕生から明治末まで ─幼少期から画学生時代
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「橘小夢」の記事における「誕生から明治末まで ─幼少期から画学生時代」の解説
秋田県秋田市西根小屋町で、加藤則幹とキヱ(のち喜恵)の長男として生まれる。加藤家は元々水戸に住んでいたが、佐竹氏の秋田転封に伴って秋田に移ったとされ、高祖父、曽祖父、祖父らは、代々佐竹氏の一門として横手を治める戸村氏の家人だった。父・則幹は漢学者で、『秋田魁新報』創設時の発行兼印刷人の一人に名を連ね、会計としても活躍した。小夢は先天性心臓弁膜症のため病弱で、生涯にわたって常に病が付きまとうことになる。また、6歳の時に妹の出産時に母が亡くなり、ほどなく生まれたばかりの妹も死去している。これがきっかけとなり、小夢と弟・醇は父が跡取りとなるはずだった仙北郡六郷町の諏訪神社(現在の美郷町の秋田諏訪宮)に預けられた。神社での生活は6歳から10歳までの4年間で、姉ツナが養女となって暮らしていた。明治41年(1908年)旧制中学校卒業後、上京し白馬会研究会で黒田清輝に洋画を学ぶ。3年後には川端画学校で川端玉章に日本画を学び、同校出版の冊子『天眞』に短歌や小説を寄稿した。この頃は、将来画家になるか、小説家になるか迷っていたが、結局画家になることを決意する。
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