誕生から最初の死亡まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 17:23 UTC 版)
シリーズ第1作『リング』は、主人公らが「呪いのビデオ」を生み出した人物である貞子の足取りを追っていく物語となっており、その中で生前の貞子の経歴が徐々に明かされていく。 1946年、後の貞子の母親(山村志津子)が、連合国軍占領下の政策の一環として伊豆大島沖の海中に投棄されていた役小角の像を引き上げる。志津子はこのときから予知や透視の超能力を身に着けたとされ、貞子の能力との関連が示唆されている。 1947年、山村貞子、伊豆大島の差木地に生まれる。母親は志津子、父親は志津子の信奉者であり心理学者の伊熊平八(しかも彼は既に妻子持ちだった)。半陰陽者、劇中では睾丸性女性化症候群である。 1954年、貞子に弟が生まれるが、4か月で病死する。 1955年、志津子の超能力の公開実験が行われるが失敗に終わる。実験はインチキであるとマスコミに叩かれ、志津子は発狂する。 1956年、志津子が三原山の火口に身を投げて自殺する。母の死後、貞子は差木地に住む母親の従兄弟、山村敬の家で引き取られる。 1957年の三原山の噴火を予知。当時小学4年生だった貞子は校内で有名になる。 1958年8月29日、超能力の研究家であった三浦哲三に念写実験の成果を送る。 1965年、成長した貞子は四谷に所在する劇団「飛翔」に入団。音響担当者の遠山と恋仲になるも、浮世離れした個性や、演出家の変死など様々な怪事象を引き起こしたため、舞台「黒い服を着た女」主演後に退団する。 1966年夏、結核を罹った父親が入院した南箱根療養所で、父の担当だった長尾城太郎医師によって強姦され井戸に突き落とされて殺された。このとき長尾は天然痘ウイルスのキャリアで、貞子は死の直前に天然痘に感染している。 1990年10月18日、浅川和行、高山竜司らによって井戸から遺体が掘り出される。 1990年10月19日、遺骨が浅川の手から山村敬に引き渡される。当時の法律では殺人事件の時効を過ぎていたため、警察への通報は行われなかった。
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