誕生から渡欧までとは? わかりやすく解説

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誕生から渡欧まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 15:19 UTC 版)

上原木呂」の記事における「誕生から渡欧まで」の解説

1948年昭和23年10月23日新潟県西蒲原郡(現・新潟市) 竹野町生まれる。1955年昭和30年巻町竹野町小学校(現・新潟市立巻北小学校入学4年生の時、大和新潟店でみたゴッホ絵画感銘を受け模写を行う他、授業習った絵画技法フロッタージュデカルコマニー熱中する1964年昭和39年県立新潟高校進学美術部にて油絵学びサルバドール・ダリの《記憶の固執》や岸の《麗子像》を模写するこのころより、瀧口修造書物触れシュルレアリスム興味をもつようになる1967年昭和42年東京藝術大学美術学部芸術学科進学美術史講義ジョルジョ・ヴァザーリ美術家列伝』の原文触れイタリア語魅了される翌年同大学を中退1968年昭和43年)より美学校入学し立石鐵臣細密画工房へ通う。10月南画廊で開催された『マルセル・デュシャン語録刊行記念展の場で著者でもある瀧口修造とはじめて出会い自作の詩を見せる。後に瀧口アトリエ出入りしはじめ、コレクション整理修理画材買物庭掃除などを手伝うようになる1969年昭和44年瀧口宅の本棚マックス・エルンストの『百頭女』に出会い自身もはじめてのコラージュ制作を行う。最初コラージュ作品クルト・シュヴィッタース絵画中に使ったと、と瀧口から聞いた古釘と、瀧口から譲られミニカメラフィルムとを組み合わせたものであった同年11月には、唐十郎の「状況劇場」を訪ね、同劇団に加わる。俳優根津甚八現・人作家四谷シモン交友関係を築く。1970年昭和45年3月末、同劇団退団美学校卒業後、東京藝大聴講生になり解剖学生物学顔料組成履修1971年昭和46年瀧口修造種村季弘らに執筆依頼した自主制作限定本『マリオネット』を刊行

※この「誕生から渡欧まで」の解説は、「上原木呂」の解説の一部です。
「誕生から渡欧まで」を含む「上原木呂」の記事については、「上原木呂」の概要を参照ください。

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