誕生から東京遊学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 22:58 UTC 版)
「武藤山治 (実業家)」の記事における「誕生から東京遊学」の解説
美濃国安八郡脇田村(当時は尾張藩の領地、現・岐阜県海津市)出身。生誕地は母親(たね)の実家の尾張国海部郡鍋田村(現・愛知県弥富市)で、出生時の姓は佐久間。佐久間家は尾張藩の庄屋・豪農を代々務める家系で、その長男として生まれる。山治の名は、学究肌でもあった父親の佐久間国三郎が論語から取ったと言われる。米国留学後の1887年に親戚の武藤松右衛門の養子となり、武藤姓となる。 幼くして、儒学を学び、頼山陽の『日本外史』を読破して絵画をよくし、国文学の才能をあらわしていた。父に薦められて福澤諭吉の『西洋事情』を読んで崇拝の念を抱き、父から慶應義塾への進学を勧められた。7歳のときに今尾尋常小学校に入学し、明治13年(1880年)に慶應義塾の本科に入学し、明治17年(1884年)に慶應義塾大学本科を卒業。 1885年(明治18年)より3年間和田豊治、桑原虎治とともにアメリカに留学し、帰国後、佐久間から武藤に改姓。アメリカでは葉巻煙草製造工場の見習職工として、皿洗い・庭師・日雇い労働者として働いた。
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