誕生から普及まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:58 UTC 版)
鈴木楽器製作所は、1953年に創業してからはハーモニカを専門に製造していた。1958年、小学校低学年の音楽でハーモニカの指導が文部省令で義務付けられるようになると、同社でも学校向けの15穴シングルハーモニカを生産し始めた。しかし、ハーモニカは児童が音を口で探しながら演奏しなければならないため、教師にとっては指導の面で大変な苦労を強いられた。その問題に直面したオーナーの鈴木萬司は、「すべての児童に、簡単でそして幅広く音楽を演奏できるための楽器を開発したい」と決意した。 1959年、萬司は「ホーナー・メロディカ」というドイツ製のリード楽器の存在を知り、「これを応用すれば日本の音楽教育の新時代を拓ける」とひらめいた。そして同年からメロディカの構造や原理を参考に、日本の児童の音楽教育にマッチするような改良や新機軸を加えて、1961年に、新しいタイプのリード楽器「スーパー34」を開発した。これこそが、「メロディオン」の祖先というべきものである。 しかし、市場に出た後もこの楽器が順風満帆というわけではなかった。発売後数年間は、全く新しい楽器で価格も高かったため、楽器店からは相手にしてもらえず、会社の倉庫は連日の返品で陣取られていた。おまけに、本来手本としていたはずのホーナー社からも問題視され、そのための和解にも時間がかかった。 ホーナー社との和解後は、技術的な改良はもちろんのこと、萬司自らも学校へ売り込みに出かけ、メロディオンの音感教育での優位性や集合音の美しさをアピールしていった。加えて、文部省などに対してもメロディオンの採用を訴えた。その結果、1969年(昭和44年)に文部省の学習指導要領が改訂されることになり、「鍵盤ハーモニカ」という名称でメロディオンが音楽教材基準に位置付けられることとなった。 卓奏用パイプ(楽器を机上に置いて演奏するために使うジャバラ式マウスピース(唄口、吹き口))や、楽譜立て一体型のプラスチックケース(本体をケースに入れたままの使用で、開けたフタ部分が楽譜立てになる)は、メロディオンが世界に先駆けて取り入れたものである。現在では他のメーカーでも採用されている。
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