誕生から成婚、皇后時代とは? わかりやすく解説

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誕生から成婚、皇后時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:40 UTC 版)

昭憲皇太后」の記事における「誕生から成婚、皇后時代」の解説

嘉永2年1849年4月17日従一位左大臣一条忠香三女として誕生生母側室新畑民子右大臣一条実良(1835-1868年)の妹。徳川慶喜婚約者であった千代君疱瘡のため千代君に代わって慶喜嫁いだ美賀子とは、義理の姉妹にあたる。 当初の名前は勝子(まさこ)。通称富貴君(ふきぎみ)、富美君(ふみぎみ)など。安政5年1858年6月皇女富貴宮の諱を避けるため、寿栄君(すえぎみ)と改名した慶応3年6月28日1867年7月29日)、新帝明治天皇(第122天皇)の女御治定伏見宮家縁故で、女流漢学者勤王論者若江薫子家庭教師として忠香の娘たち養育携わっていたが、「女御一条家から出すのに際し薫子は姉を差し置いて妹の寿栄君を推薦したと言われている。 明治元年12月26日1869年2月7日)、美子(はるこ)と改名し従三位叙位同月28日1869年2月9日入内して次のような女御宣下を蒙り、即日皇后立てられた。 「一条美子女御宣下 女御藤原美子入内立后一件女御入内備忘定功卿記)」 從三位藤原朝臣美子右中辨藤原朝臣長邦傳宣權中納言藤原朝臣公正宣奉 勅宜爲女御明治元年十二月二十八日 中務少輔輔世奉 ―宮内庁書陵部編纂皇室制度史料后妃4)』吉川弘文館所収訓読文従三位藤原朝臣美子一条美=はる子 20歳右中弁藤原朝臣長邦葉室長邦 30歳 従四位下)伝へ宣(の)り、権中納言藤原朝臣公正(清水谷公正 60歳 正三位)宣(の)る、勅(みことのり 明治天皇 17歳)を奉(うけたまは)るに、宜し女御為すべし者(てへり)、明治元年(1868年)12月28日 中務少輔左大史壬生 58正四位上宿禰輔世奉(うけたまは)る、 この際天皇より3歳年長であることを忌避して、公式には嘉永3年1850年)の出生とされた。当初中世以来慣行に従って中宮職付置され、中宮称されたが、翌年中宮職皇后宮職改められ称号皇后宮こうごうぐう)と改められた。この時を最後に中宮職廃止され中宮称号絶えた

※この「誕生から成婚、皇后時代」の解説は、「昭憲皇太后」の解説の一部です。
「誕生から成婚、皇后時代」を含む「昭憲皇太后」の記事については、「昭憲皇太后」の概要を参照ください。

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