誕生から得度までとは? わかりやすく解説

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誕生から得度まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 17:49 UTC 版)

蓮如」の記事における「誕生から得度まで」の解説

年齢は、数え年日付は、『御文』(『御文章』)などの文献との整合を保つため、いずれも旧暦宣明暦表示とする(生歿年月日を除く)。 応永22年2月25日1415年4月13日)、京都東山生誕当時天台宗青蓮院末寺であった大谷本願寺現在の知恩院塔頭崇泰院そうたいいん〉付近)で、本願寺第7世存如長子として生まれる。母は存如の母に給仕した女性伝えられているが、詳細不明一説には、信太現在の大阪府和泉市)の被差別部落出身だったともいう。童名を幸亭、あるいは布袋称した応永27年1420年)、蓮如6歳の時、生母本願寺退去し存如海老名氏の娘・如円尼を正室として迎える。生母その後行方分かっていない。蓮如幼年期本願寺は、佛光寺隆盛比し衰退にあり、参拝者(後に蓮如支援者となった堅田本福寺法住ら)が余りにも寂れた本願寺有様見て呆れ佛光寺参拝したほどであった永享3年1431年17歳時中納言広橋兼郷の猶子となって青蓮院得度し実名を兼郷の一字を受け兼壽、仮名を兼郷の官途名である中納言称し法名蓮如名乗ったその後本願寺姻戚関係にあった大和興福寺大乗院門跡経覚について修学。父を補佐し門末へ下付するため、多く聖教書写した。永享6年1434年5月12日識語をもつ『浄土文類聚鈔』が、蓮如により書写された現存する最古のものである永享8年1436年)、祖父の第6世巧如住持職を父に譲り4年後の永享12年10月14日1440年11月17日)に死去した

※この「誕生から得度まで」の解説は、「蓮如」の解説の一部です。
「誕生から得度まで」を含む「蓮如」の記事については、「蓮如」の概要を参照ください。

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