宗厳
宗厳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/23 03:35 UTC 版)
戦国時代から江戸時代初期の武将滝川雄利は、豊臣秀吉により3万石を賜ったが、関ヶ原の戦いには西軍として参戦し敗れて領地を没収させられた。後に徳川氏に近侍し、1610年(慶長15年)常州片野に1万石を賜った。滝川雄利は金戒光明寺に、息女の戒名「龍光院殿花顔芳春大禅定尼」から名を取り、黒谷龍光院という塔頭を作った。 この息女に仕えていたのが宗厳である。北政所が宗厳を羽柴下総守(瀧川雄利)の息女の召し使いにした。この息女に宗厳はまめまめしく仕えたが、宗厳30歳のとき、息女は17歳で死んだ。 人生の無常を感じて出家して11年間修行の後、黒谷に帰ってきた宗厳は、紫雲石を金戒光明寺第27世の了的により授けられ、西雲院を開山した。一心不乱に念仏を唱える宗厳の下には多くの僧侶が集まり、また多くの寄進を集めたという。千日念仏惣回向、そして宗厳死後も、万日念仏惣回向、3万日念仏惣回向、4万日念仏惣回向(100年)と続けられた。
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