アムステルダムで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/12 06:56 UTC 版)
「バルトロメウス・ファン・デル・ヘルスト」の記事における「アムステルダムで」の解説
同時期にアムステルダムではレンブラント・ファン・レインも活躍していたが、ファン・デル・ヘルストも次第に人気の肖像画家になっていった。アンソニー・ヴァン・ダイクのスタイルに似た彼の洗練された肖像画は、暗い背景の前にモデルたちの全身にくまなく光を当てる手法で描かれている。これによりモデルの顔は明確にその特徴が識別可能となり、服飾や武器などの小道具に関しても形態や固有色が明確に表現され、刺繍の輝きの一点ずつ、帽子の羽根飾りの羽毛の一本一本までが再現的に描写されている、これは暗く内省的なレンブラント後期の作品(ex.《夜警》アムステルダム国立美術館)とは対照的であり、ファン・デル・ヘルストの作品を好む人々も多かった。レンブラントの弟子であるフェルディナント・ボルやホーファールト・フリンクはファン・デル・ヘルストのスタイルを取り入れている。 とりわけファン・デル・ヘルストは、レンブラントの凋落期に中産階級の富裕層を中心に流行の肖像画家としての地位を獲得していった。この原因としてはファン・デル・ヘルストがヴァン・ダイク風のモチーフを画面に導入したことが挙げられている(ex. 《ルーロフ・ビッカー隊の肖像》アムステルダム国立美術館、《レープマカー家の肖像》ルーヴル美術館、《青衣の女性》ロンドン、ナショナルギャラリー)。
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