ヴァイオリニストとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 18:24 UTC 版)
父の仕事関係で幼い頃は日本各地に転々と移動する。6歳からシドニー、オーストラリアに永住する。シドニーで本格的にヴァイオリニストとしての特訓を受ける。13歳の若さでAustralian Music Examination Boardのディプロマを最高成績でAssociate in Musicを受賞。14歳ではLicentiate in Musicを受賞。 シドニー大学でシージャン・ザン教授に師事し、マスタークラスではワンダ・ウィウコミルスカ、ザハール・ブロン、サルヴァトーレ・アッカルド、ピンカス・ズーカーマンなど数々の名ヴァイオリニストや巨匠から必ず高い評価を受ける。ユーディ・メニューイン国際コンクールではザハール・ブロンから弟子入りのオファーを断る。 チャイコフスキー国際コンクール、ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール、仙台国際音楽コンクール、ユーディ・メニューイン国際コンクール、パガニーニ国際コンクールなどに日本として数々の国際コンクールに出場する。驚異的なテクニックを長所と誇り、音量と音のパワーに特化したイヴァン・ガラミアン派の演奏スタイルにより国際コンクールには適していないが、2002年ギズボーン国際音楽コンクールでは第2位と観客賞、第7回江藤俊哉ヴァイオリンコンクールでは優勝している。 中国では上海交響楽団、広州交響楽団、南京交響楽団、杭州交響楽団とソリストとして共演する。2002年に日本フィルハーモニー交響楽団とチャイコフスキーの協奏曲を共演して日本デビューする。他、東京フィルハーモニー交響楽団などゲストソリストとして招待される。同年、小泉純一郎首相(当時)が出席・スピーチしたAsia Societyのディナーパーティーにて演奏。 アレクサンダー・ガヴリリュク(ピアノ)、アレクシー・イェムツォヴ(ピアノ)、ジョン・ハーディング(指揮)や田中千香士(指揮)などとソロ・ヴァイオリニストやデュオなどで共演する。 涼宮ハルヒの弦奏にソロ・ヴァイオリニストとして出演し、好評を博したことから涼宮ハルヒの消失に、音楽の芸術監督、演奏・録音で参加。 2018年、マルコム・ターンブル豪首相が招待されたAustralian Standfirstのパーティーにて演奏。
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