アレクサンダー・ガヴリリュクとは? わかりやすく解説

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アレクサンダー・ガヴリリュク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/17 07:33 UTC 版)

アレクサンダー・ガヴリリュク
2013年
基本情報
生誕 (1984-08-19) 1984年8月19日
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 ハルキウ州ハルキウ
学歴 オーストラリア音楽学校
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

アレクサンダー・ガヴリリュク英語: Alexander Gavrylyukウクライナ語: Олександр Миколайович Гаврилюк[1]ロシア語: Александр Николаевич Гаврилюк[2]1984年8月19日 - )は、ウクライナピアニスト。苗字はガブリリュクとも記される。

経歴

生い立ち

1984年、 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国ハルキウに生まれた。両親はフォーク音楽を演奏し、音楽を愛好する家庭に育ち、妹もピアニストである。名教師として知られるヴィクトル・マカロフに師事し[3]、7歳でピアノを始めた[4]。12歳でイタリアセニガッリア市国際ピアノ・コンクールに出場して優勝。1998年(14歳)、師事していたヴィクトル・マカロフのその他4人の生徒と共に、オーストラリアシドニーへ渡り、オーストラリア音楽学校の奨学生となった。

オーストラリア渡航後

翌1999年、ホロヴィッツ記念国際ピアノコンクール(ウクライナキエフ)、オーストラリア・ピアノコンクールに出場し、それぞれ第1位となった。さらに2000年11月には、日本で行われた第4回浜松国際ピアノコンクールでも第1位を受賞した。[5]翌年の2001年には日本及びアジア各国でコンサートを開催した[6]

2002年に交通事故により重傷を負うが復帰。2003年にも来日し、コンサートを開いている。

2005年4月には、ルービンシュタイン国際ピアノコンクールで第1位、金賞、ベストコンチェルト賞を受賞。日本へは近年毎年のように来日し、他各国でも精力的に演奏活動を行っている。

演奏・録音について

ガヴリリュクの演奏は、超絶技巧が特徴であるが、その中に、技巧だけでは表現できない温かみやロマン性が現れ、彼の持つピアニズムを垣間見ることが出来る。レパートリーは広く、古典派ハイドンベートーヴェンから、ロマン派ブラームスショパンラフマニノフプロコフィエフスクリャービンなどを演奏する事が多い。

脚注

  1. ^ アレクサンドル・ミコライオヴィチ・ガヴリリュク。
  2. ^ アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ガヴリリュク。
  3. ^ 2004年に、マカロフに対するセクハラ告発に加わっている。マカロフには懲役刑が言い渡されたが、再審では陪審により無罪となった。
  4. ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、14ページ、ISBN 4-7872-7208-X
  5. ^ コンクール審査委員長の中村紘子は「20世紀後半最高の16歳」とまで評している。
  6. ^ 後にこの日本でのライブ録音がCD『ピアニズム、ムーンライト』として発売されている。



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