シドニー大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 18:47 UTC 版)
The University of Sydney | |
![]()
メイン・クアドラングル
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モットー | Sidere mens eadem mutato |
---|---|
種別 | 公立 |
設立年 | 1850年 |
総長 | Belinda Hutchinson |
副総長 | Mark Scott |
教員数
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3,743人(2020年) |
学生総数 | 60,968人(2020年) |
所在地 | ![]() ニューサウスウェールズ州シドニー |
キャンパス | シドニー |
スクールカラー | 赤、黄色、青 |
Group of Eight, APRU, ACU, ASAIHL, WUN | |
公式サイト | 公式サイト |
シドニー大学(英語: The University of Sydney)は、1850年にオーストラリアのニューサウスウェールズ州の州都シドニーに設立された同国最古の世界屈指の名門大学である。世界大学ランキングでは常に上位にランクインする他、シドニー大学は規模、名声ともに総合大学として、常に高い評価を受けている。2024年のQS世界大学ランキングでは世界19位[1]、卒業生の雇用スキルランキングでは世界トップ5位以内にランクインしている。[2] 卒業生には5人のノーベル賞受賞者と2人のクラフォード賞受賞を生み出している。
概要

シドニー大学はその研究と実績の観点から、オーストラリア国内で高ランクの大学連合オーストラリア8大学に所属し、また環太平洋地域を代表する37の主要大学で構成される環太平洋大学協会(APRU)のメンバーでもある。
THEインパクトランキング2021では世界2位にランクインし、国連のSDGsを基準として大学の社会貢献の取り組みが高く評価されている。[3]「世界の最も美しい大学キャンパス10」(UK Daily TelegraphとUS HuffPost)にランクインされたほど。
2018年のQS世界大学ランキング(科目別)において、人文科学の分野で15位、社会科学の分野で14位、生命科学の分野で15位の評価を受け、2015年のQS世界大学ランキング総合評価では世界37位であった[1]。
大学のメインキャンパスはシドニー市街の南西に位置しオックスブリッジ式で、近年の統合によりほかにキャンパスがいくつかある。
卒業生にはジョン・ハワードをはじめとする8人のオーストラリアの歴代首相、2人のオーストラリア総督、24人の最高裁判所判事、著名文化人の名前が挙げられる。また、学術研究においては世界最古の国際的なフェローシップ制度であるローズ奨学生に110人がノミネートしている。
キャンパス

メインキャンパスは「世界の最も美しい大学キャンパス10」(UK Daily TelegraphとUS HuffPost)にランクインしている。キャンパーダウンとダーリントンの間に位置し、シドニー都市中心部から近い。
組織


17学部が3つのカレッジ(学校)に属する [2]:
学生寮
学生寮
レジデンシャル・カレッジ
- Mandelbaum House[4]
- Sancta Sophia College[4]
- St Andrew's College (en)[4]
- St John's College [4]
- St Paul's College (en) [4]
- Wesley College (en)[4]
- Women's College (en)[4]
- St Paul's Graduate House (en)[4]
- Sancta Sophia’s Graduate House (en)[4]
- シドニーの本校舎Sydney University Village (SUV) 案内図[5]と学生用滞在施設[6]
- Stucco 学生住宅コーポラティブ[7]
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Sancta Sophia College
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Wesley College
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St Andrew's College
学術ランキング
2021年のQS世界大学ランキングではシドニー大学は世界40位にランクイン。オーストラリア国内においては2位にランクインと常に高い評価を受けている。又、学術的な評判は世界トップ27位にランクインした[4]。以下は各科目別のQS世界大学ランキング。
- 2位 スポーツ科学
- 10位 生理解剖学
- 11位 獣医学
- 15位 人文科学
- 12位 教育学
- 14位 法学
- 15位 看護学
- 16位 建築学
- 18位 会計、金融学
- 39位 工学、情報工学
- 15位 健康科学
- 43位 自然科学
- 14位 社会科学
- 18位 医学
2021年のUSニューズ&ワールド・レポートでは、世界トップグローバル大学ランキングにおいてシドニー大学は27位で国内2位と評価された。2021年の世界大学学術ランキングでは世界トップ69位にランクインし世界のトップ大学0.7%に入る[5]。
2021年のQS世界大学ランキングでシドニー大学卒業生の雇用機会は世界4位にランクイン。1位に同国内、アジアパシフィックでランクインしている。
著名な卒業生
政治・法律
- H・V・エヴァット(国際連合総会議長(1948 - 1949年))
- 歴代オーストラリア総督(Governors-General)
- オーストラリア首相(任期順)
- オーストラリア高等裁判所裁判長(任期順)
- サミュエル・グリフィス
- ガーフィールド・バーウィック
- アンソニー・メイソン (判事)
- マーレイ・グリーソン
経済
科学
- ロバート・ロビンソン(有機化学者、ノーベル化学賞受賞者(1947年))
- ジョン・コーンフォース(シドニー大学、科学学士号取得(1938年))、1975年ノーベル化学賞受賞
- ジョン・ハーサニ(シドニー大学経済修士(1966年))、1994年ノーベル経済学賞
- フィリップ・K・チャップマン- オーストラリア初の宇宙飛行士[8]
- ポール・スカリー・パワー - オーストラリア人で初めて宇宙飛行を体験[注釈 1]
音楽
- サラ・オレイン - 歌手・ヴァイオリニスト
関連項目
- Magma - シドニー大学で開発されている数式処理システム
- オーストラリアの大学一覧
- オーストラリア8大学 (Group of Eight)
- 環太平洋大学協会 (APRU)
- 高校生のための国際科学学校 - シドニー大学で2年に一度開催されている、高校生を対象とした国際科学学校
脚注
注釈
出典
- ^ QS世界大学ランキング
- ^ Colleges - About the University
- ^ a b c d “Camperdown and Darlington” (英語). The University of Sydney. 2019年7月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “Residential colleges” (英語). シドニー大学. 2019年7月29日閲覧。
- ^ “Sydney University Village Directions (大学構内の案内図)” (英語). Centre for Continuing Education. シドニー大学. 2019年7月29日閲覧。
- ^ Hart, Chloe (2017年3月9日). “Subsidised accommodation a boost for Sydney Indigenous students” (英語). ABC News. 2019年7月29日閲覧。
- ^ Forsyth-Smith, Lauren (2017年6月2日). “Housing Co-ops and the Archive Box”. History Matters. シドニー大学Department of History. 2019年7月30日閲覧。
- ^ メルボルン出身、アメリカに移住
- ^ “National | Paul Scully-Power” (英語). The Age (2004年1月26日). 2004年1月26日閲覧。
外部リンク
シドニー大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 19:44 UTC 版)
「トマス・ピーター・アンダーソン・ステュアート」の記事における「シドニー大学」の解説
1882年、シドニー大学に医学校を組織することが決定され、解剖学と生理学の教授職が公募となった。適任者の選定は複数の機関に委嘱されたが、イングランド王立外科医師会、エディンバラ大学、エディンバラ王立外科医カレッジ (Royal College of Surgeons of Edinburgh)、グラスゴー王立内科・外科医カレッジ (Royal College of Physicians and Surgeons of Glasgow) は、いずれもステュアートを適任者として選んだ。選任されたステュアートは、妻とともに「パラマタ (Parramatta)」号に乗船してオーストラリアへ赴き、1883年3月にシドニーへ到着した。当初、医学校の建物は、湿っぽく漆喰も塗られていない4部屋の建物ひとつがあるだけで、カリキュラムの整備や、講師、実験助手、副手の組織が必要な状況であった。最初の学年には4人しか学生がいなかったが、ステュアートには医学校を大きな発展を実現させる想像力があり、すぐに新たな建物の建設に向けた構想を生み出した。1884年6月、大学は恒久的な医学校の建物を建設することに同意し、設計図面が政府の建築士であったジェイムズ・バーネット (James Barnet) によって用意された。建築計画は1884年11月に承認され、1885年には政府が15,000ポンドの建設資金を用意した。1889年に建物はほぼ完成し、内装は1892年に完成した。この建物は、ゴシック・リヴァイヴァル建築の傑作と見なされている。医学校の学生数は、1883年の6名から、1912年には604名へと増加した。医学校の建物が完成すると、ステュアートは他の仕事にも集中して取り組むことができるようになり、大学敷地の改善なども実現した。ステュアートはまた、ニューサウスウェールズ各地の図書館に科学書の蔵書を充実させた。ステュアートは、人物を見る目をもち、彼の下で実験助手や講師を務めた人々のなかからは、サー・アレキサンダー・マコーミック (Sir Alexander McCormick)、ジェイムズ・トマス・ウィルソン (James Thomas Wilson) 教授、サー・ジェイムズ・グレイアム (Sir James Graham)、サー・チャールズ・ジェイムズ・マーティン (Sir Charles James Martin)、サー・アルムロス・ライト (Sir Almroth Wright)、ヘンリー・ジョージ・チャップマン (Henry George Chapman) 教授など、後に大成した者が数多く輩出した。ステュアートの講座は、1890年に分割され、ステュアートは生理学担当に専念し、新設された解剖学担当の教授にはウィルソンが任命された。
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