女子ラグビー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 15:23 UTC 版)
女子ラグビー(じょしラグビー、Women's Rugby football)は、女性によるラグビーのことを指す。
概要
ラグビーユニオン(15人制ラグビー。7人制ラグビーを含む)において、ルール上、女子と男子の違いはない。男子と同じ試合時間で、同じサイズのボールを使い、同じサイズのグラウンドでプレーする。
ワールドラグビーの2023年時点の公式統計によれば、世界の女性プレーヤー人口はほぼ200万人で、そのうち選手登録されている女性アクティブプレイヤーの数は31万9,966人となっている[1]。
歴史
最古の記録は1881年
女子ラグビーの起源は定かではないが、最古の記録は以下のとおり1881年である。
まだサッカーとラグビーが バージョン違いの「同じフットボール」扱いだった1881年に、春から夏にかけてスコットランドとイングランドとの間で、女性がフットボールのエキシビション試合を8回行った。当時、女性がコンタクトスポーツを行うことに対する世間の反応は否定的で、スコットランドのグラスゴーの新聞「ザ・ヘラルド」1881年5月9日の記事によると、反対運動激化で警察官が出動するほどの暴動が起き、試合が途中で終わったこともあった[2]。そのなかで、1881年6月27日イングランドのリバプール・マーキュリー紙の報道[2]によると、1881年6月25日 (土曜) 午後5時にイングランドのリバプールにあるキャトル・マーケット・イン・アスレチック・グラウンドで行われたフットボールの試合内容は「数回のタッチダウンと1ゴール(several touchdowns and one goal)」と記述されており、少なくともこの試合はラグビーのルールで行われたと推測できる[2][3]。当時はトライ0点、ゴール1点でカウントされ[4]、この試合は2-1でスコットランドがイングランドに勝利した[2]。
1887年、北アイルランドに住む当時10歳のエミリー・バレンタインは、エンシキレンにあるポルトラ王立男子校で、男子生徒を説得してラグビーの試合に参加した。その回想録が現在も残っている[3][5]。
ニュージーランドでは、女性の経済的自立と参政権が1893年に達成され、ラグビークラブを含む最初の女子スポーツクラブが設立された 。フィールドホッケーやテニスなどの競技への女子参入は受け入れられたが、ラグビーやクリケットは激しい反対にさらされ、女子ラグビーの活動計画は頓挫した[6]。
第一次世界大戦中に人気を集める


フランスとイングランドでは、第一次世界大戦前の女子ラグビーの記録は残っているが、実質的には無観客だった。第一次世界大戦による社会の大きな変化をきっかけに、ウェールズのニューポートでは、軍需工場の女性労働者たちが女子ラグビーチームを結成し、チャリティマッチを開催。地域や戦時中の慈善団体への募金活動に役立ち、人気イベントとなっていった[7][8]。1917年9月29日、地元紙は何千人もの観客が楽しんだと報じた。ニューポートの選手たちは南ウェールズ各地でエキシビションマッチに出場し、他の地元チームの結成を促した[8]。1917年12月15日のカーディフ・アームズ・パークで、カーディフ・レディースはニューポート・レディースと対戦し、6-0で勝利した[8]。



1921年5月、オーストラリアのシドニー出身の2人の少女、モリー・ケインとネリー・ドハティが、女子ラグビーへの支援をニューサウスウェールズ・ラグビーリーグに求めた[9]。これにより、1922年9月にムーアパーク農業公園(後のシドニー・ショーグラウンド)で、女子のラグビーリーグ(13人制ラグビー)の試合が行われた[9]。
その後は政治的圧力によりラグビーリーグでは実施されず[10]、1930年にラグビーユニオン(15人制ラグビー)でシドニーの失業者を支援するチャリティーマッチが行われ、2,500人以上の観客を集めた。
戦前の日本
日本では、朝日新聞社発行の週刊誌『アサヒグラフ』が1931年(昭和6年)3月25日号で「女性ラグビー」と称して紹介している。愛知県の椙山第二高等女学校の教諭が考案したもので、バスケットボールと同じ大きさのピッチで、バスケットボールを使う。各チーム15人ずつ計30人が、ラン、キック、ドリブル、パスなどで前進し、ボールを前に投げることも許される。敵陣のバスケットボール用ゴールリングに向かってボールを投げ入れて得点する(シュート成功で3点。シュート成功の場合にフリースローも与えられ、それに成功するとさらに2点追加)。「スクラム」では、立ったままお互い肩を組み円陣を作り、押し合ってボールを円陣の外に出す。バスケットボールのファウル行為を積極的に取り入れた、学校の体育授業向け競技である。当時海外で行われていた、男子と同様の「女子ラグビー」とは大きく異なる[11]。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦により、女子ラグビーの活動はほぼ停止された[10]。
第二次世界大戦後、オーストラリアのシドニーで、女子13人制ラグビーチーム「ベルズ・オブ・セント・メアリーズ(Belles of St Mary's)」を結成[12]。
1960年代半ば、ヨーロッパでは特にイギリスとフランスの大学生の間で女子ラグビーが復活した。
1966年、フランスでは 女子ラグビークラブ「ビオレット・ブレッサン」が誕生し、現在も活動を続けている[13]。1970年にはトゥールーズでフランス・フェミニン・ラグビー協会(AFRF)が設立された。1972年、ラグビーユニオン史上初の全国女子選手権が開催され 、女子協会は、男子連盟FFR(フランスラグビー連盟)との合意に向けた最初の試みを行ったが、FFRは女子ラグビーを認めなかったため失敗に終わった[14]。
1972年、アメリカ合衆国のコロラド大学、コロラド大学ボルダー校、イリノイ大学シャンペーン校で、女子ラグビーチームが誕生。その後、さまざまなチームができ、1978年にはシカゴ女子ラグビークラブ主催で、アメリカ合衆国初の女子全国ラグビー選手権が開催された。この大会に先立ち、競技規則の制定と選手の権利保護を目的として、アメリカ合衆国ラグビーフットボール協会(USARFU)が設立された[15]。
1974年9月9日、イタリアにフランスから2つの女子チームが訪れて対戦した[16]。1978年、イタリアの女子チーム「レッド・パンサーズ」が誕生し、1980年4月13日にヴィッロルバでCUSミラノ代表チームと対戦。これがイタリア国内初の女子ラグビーユニオンの試合となる[17]。1982年に、レッド・パンサーズはベネットン・トレヴィーゾの女子部門となった[18]。
初めての国際試合
1975年、オランダラグビー協会は、女子ラグビー部門を創設[19]。1982年にはオランダ協会創立50周年を記念して、フランス・フェミニン・ラグビー協会(AFRF)を招待[20]。同1982年6月13日にユトレヒトで、女子オランダ代表と女子フランス代表による初めての国際試合を行い、後半22分に女子ラグビー初の国際試合得点者となるフランスのイザベル・ドゥカン(Isabelle Decamp)がトライを決め、4-0で勝利した[21]。
1978年からイギリスでは、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンとキングス・カレッジ・ロンドンとの対戦をはじめとして、イギリス人女性デボラ・グリフィンが 女子の大学生チームのネットワークを構築していった[22]。1983年に、女子ラグビーフットボール協会(Rugby Football Union for Women、RFUW)が設立、大学16チームとウェールズのクラブ1チームから構成された[22]。
日本に女子クラブチームが誕生
日本では、1968年(昭和43年)4月創立の大阪ラグビースクール[23][24]に中学生以下の女子チームも誕生し、1972年にはOGチーム、1975年にはママチームもできた[25]。
1976年(昭和51年)に西宮ビーナスラグビークラブ(兵庫県)、1979年(昭和54年)に鹿折ママさんラガーズ(宮城県)・盛岡ラグビースクール ママさんチーム(岩手県)、1980年(昭和55年)に秋田市エコー少年ラグビークラブ 女子部・女川ラグビースクール ママさんチーム、1982年(昭和57年)に宮城県石巻市ラグビースクール ママさんチーム、1983年(昭和58年)に脇本おいばなママさんラグビークラブ(秋田県)が誕生した[25]。1981年(昭和56年)には、盛岡と女川とで岩手県内で初めてとなる女性チームどうしの対戦が行われた[25]。
同じく1983年(昭和58年)、女子ラグビー3チーム(世田谷レディース [ 後の世田谷区ラグビースクール ] 、ブラザー工業レディース [ 後の名古屋レディースR.F.C ]、松阪レディース)が発足し、本格的な対戦を行い始めた[26][27]。
各国代表チームが誕生
1985年、アメリカ合衆国でオールスター選手による女子ラグビー代表チーム「Wivern(ワイバーン)」が結成され、イングランドとフランスに遠征した[15]。
1985年、イタリアでは、スポーツにおける女性の権利憲章が制定され、同時期には女子イタリア代表と女子フランス代表との対戦が多く行われるようになった[28][29][30]。
1986年、初の女子イギリス代表チームを編成。翌1987年には、女子イングランド代表と女子ウェールズ代表が誕生した[31]。
1987年、アメリカ合衆国女子代表チーム「女子イーグルス」が結成され、1991年には第1回ワールドカップにも出場したが、男子イーグルス(男子アメリカ合衆国代表)のようにイーグルスのロゴを着用することは許されなかった[15]。
1988年、日本女子ラグビー連盟が発足
1988年(昭和63年)4月、日本女子ラグビーフットボール連盟(JWRF)が発足[32][33][34][35]。当時、16チームが加盟していた[25]。11月3日に第1回女子ラグビー交流大会が駒沢オリンピック公園で開催され、13チームが集まった[36][37][38]。
下表の出典:[25]
創部 | 1988年 日本女子ラグビーフットボール連盟(JWRF) 登録 16チーム(登録名) |
1988年11月3日 第1回交流大会 出場13チーム (出場時のチーム名) |
所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1979年6月 | 盛岡女子ラグビーフットボールクラブ | 盛岡レディース ラグビーフットボールクラブ | 岩手県 | |
1980年4月 | 秋田市エコー少年ラグビー部 女子部 | 秋田県 | ||
1980年6月 | 女川ママさんチーム | 女川レディース | 宮城県 | |
1983年2月 | 脇本おいばなラグビークラブ ママさんクラブ | 脇本おいばなラグビークラブ ママさんクラブ | 秋田県 | |
1983年4月 | 世田谷レディース | 世田谷レディース | 東京都 | |
1983年5月 | いずみマミークラブ | 兵庫県 | ||
1983年9月 | 八戸レディース | 八戸レディース ラグビーフットボールチーム | 青森県 | |
1983年9月 | 三宅レディースクラブ | 三宅レディースクラブ | 福岡県 | |
1983年12月 | 名古屋レディース | 愛知県 | ||
1984年4月 | 十和田レディース | 青森県 | ||
1985年4月 | 石川マミーズ | 石川県 | ||
1985年11月 | 佐倉レディース | 佐倉レディース | 千葉県 | |
1986年2月 | 江戸川レディース | 江戸川区レディース | 東京都 | |
1986年4月 | 青森レディース | 青森県 | ||
1986年6月 | 秦野レディース | 秦野レディース | 神奈川県 | |
1986年11月 | 新潟女子ラグビーフットボールクラブ | 新潟女子ラグビーフットボールクラブ | 新潟県 | |
1986年12月 | 紀州手まりチーム | 紀州手まり ラグビーチーム | 和歌山県 | |
1988年5月 | オラガールズ | 東京都 |
1988年、第1回「女子ヨーロッパラグビーカップ」がフランスのブール=カン=ブレスで開催、フランス、イギリス、イタリア、オランダが参加した[39]。国際アマチュアラグビー連盟(現在のラグビーヨーロッパ)からの公認は得られなかった。
1989年(平成元年)7月31日から8月7日まで、名古屋レディースがニュージーランドへ初の海外遠征を行った[40]。
1989年、フランスの女子ラグビーはフランスラグビー連盟(FFR)の管理下に入る[41]。また、女子スペインと女子西ドイツがデビュー。ニュージーランドでは州間女子選手権が始まった。
ラグビーフェスト1990
1990年に、女子ワールドラグビーフェスティバル(略称:Rugby Fest(ラグビー・フェスト))がニュージーランドのクライストチャーチで開催され、初めて結成されたニュージーランド代表のほか、オランダ代表、ソ連代表、アメリカ合衆国代表の4つの国代表が総当たりリーグ戦を行った[42][43][44][45]。そのほかに、クラブチームと国代表とが対戦するエキシビジョン試合も行われ、日本からは オール東京 と 名古屋レディース が参加しオランダ代表と戦った[46][47][48]。
1997年、第1回ワールドカップ開催
1988年のフランスでの大会、1990年のニュージーランドでの世界大会の成功により、イギリス女子ラグビー側でも世界大会の開催準備が進む。
1991年春に第1回女子ラグビーワールドカップ(1991 Women's Rugby World Cup)がウェールズで開催された[49]。この大会が女子日本代表として最初の国際試合となる[50][51]。女子日本代表チームは、全額自己負担で、コーチやドクターが帯同せず、選手のみの渡航となった[52]。決勝戦でアメリカ合衆国がイギリスを破り、優勝。
大会は商業的には失敗に終わったものの、世論と告知効果では成功を収めた[53]。大会の赤字は、非公式にイングランドラグビー協会によって補填された[54]。
第2回ワールドカップ
第2回女子ラグビーワールドカップは、1991年第1回大会のように男子ラグビーワールドカップと重なるのを避けるため、1995年より1年早くの開催となった[55][56]。また、国際ラグビー評議会(IRB、現在のワールドラグビー)が、依然として女子ラグビーワールドカップに対して否定的立場を続けたため、オランダは開催3か月前に自国での開催を返上。代わりにスコットランドで開催されることになった[56][57][55]。
オランダのほか、ニュージーランド、イタリア、ドイツも欠場。さらにスペインは、グループ分けが行われた直後に棄権し、その穴埋めとしてスコットランド学生チームが出場した(これにより、スコットランドから国代表を含め2チームが出場することになった)。ソ連も参加予定だったが、国家が崩壊したため、ロシアとカザフスタンが代わりに出場。最終的に、日本を含む11か国・12チームが参加した[56]。
日本はスウェーデンから1勝を挙げた[58][59]が、4月15日のアメリカ戦では0-121で大敗し、これが女子日本代表チームにとって「最大差敗戦試合」記録となる[59]。決勝戦でイングランドがアメリカ合衆国を破って優勝。この大会は予選のイングランド対スコットランドの試合に4,000人の観客が、決勝戦には7,000人の観客が来場したことで、第2回大会は経済的成功も収めた[56]。
1993年9月、日本ラグビーフットボール協会は、日本女子ラグビーフットボール連盟を関連団体と認める通達を出した。1995年からは、強化練習など必要に応じてコーチを日本女子連盟に派遣するなど、協力体制を整えていく。1997年には日本ラグビーフットボール協会から、補助金予算150万円を確保した(翌年は300万円に増額)。[60]
イギリス諸島 4協会が誕生
1993年に イギリス全土を統括していた 女子ラグビーフットボール協会(Rugby Football Union for Women、RFUW)は、女子ラグビーフットボール協会(Rugby Football Union for Women、RFUW)に改称し、イングランドのみの女子ラグビー統括団体となった。これにより、男子のように女子アイルランド協会、女子スコットランド協会、女子ウェールズ協会へと分かれ、1996年にはイギリス諸島の4つの協会による女子ホーム・ネーションズ選手権が誕生した[61]。その第1回大会はイングランドがグランドスラムを果たした。
1995年には、国際アマチュアラグビー連盟(現在のラグビーヨーロッパ)公認の女子大会「FIRA Women's European Championship(現在のラグビーヨーロッパ・ウィメンズチャンピオンシップ)」をイタリアで初開催した[62][63]。
第3回ワールドカップからIRB公認に
1998年、第3回女子ラグビーワールドカップは、ついに国際ラグビー評議会(IRB、現在のワールドラグビー)公式の大会となった[64]。
第3回大会の書類選考で出場国が決められる際に、日本は「国際試合の資料に乏しい」(「国際試合が少ない」という意味)と指摘され[65][66][67]、ワールドカップに出場ができなくなった[65][66]。ワールドラグビーは、当時のことを「出場資格の ”international matches” の解釈に誤解があった」(「4年間海外遠征が無かったことのみを判断材料にし、4年間に2回 海外チームが来日して対戦した実績を見落とした」という意味)と記している[68]。これを受け、以後日本は北米やサモア、ニュージーランドへと積極的に海外遠征をするようになる。
1999年、1996年創設の女子ホームチャンピオンシップにフランスが加わり、女子ファイブ・ネイションズとなる[69][70]。
2002年(平成14年)3月、7人制ラグビー女子日本代表が香港女子セブンズ2002(Hong Kong Women's Sevens 2002)に出場、これが女子7人制として初のテストマッチ(公認国際試合)となる[71]。
女子協会は、男子協会に統合へ
2002年4月1日に、日本女子ラグビーフットボール連盟が日本ラグビーフットボール協会(JRFU)に加盟(JRFUの傘下に入る)[72]。ラグビーユニオンを統括するIRB(国際ラグビー評議会。現・ワールドラグビー)は「1国に1統括団体」の方針のため、ラグビー女子日本代表はJRFUが管轄するチームとして、IRB主催ワールドカップ出場への基本条件が得られたことになる。
2002年4月、ニュージーランドのカンタベリーが来日し対戦[73][74]。この試合から、日本ラグビーフットボール協会の日本代表チームとして「桜のエンブレム」がジャージに付く。
2006年にはアジア大陸選手権が、2016年にはオセアニア大陸選手権が誕生した[75]。これらの大会は、欧州選手権やシックス・ネーションズと共に、2010年からワールドカップの予選も兼ねている[76]。2019年には、これらの大会にアフリカネイションズカップが加わり、世界最高峰の大会の大陸予選の役割も担うようになった[77]。
女子ラグビーワールドカップ2006(第5回カナダ大会)では出場枠が16から12に減らされ、日本はアジアで実績最上位のカザフスタンと出場権を争うことになった。2005年6月にアジア地区予選がタイで行われたが、日本は6月5日の初戦で香港に78-0で勝つも[78]、決勝でカザフスタンに3-19で敗れ[78]、本大会出場権を逃した。この香港戦は「最大差勝利試合」の記録となる。
イギリス諸島の4つの女子ラグビー協会も、それぞれ男子協会へと統合されていった。2007年には、ウェールズ女子ラグビー協会がウェールズラグビー協会女子部門へ[79]、 2009年にはアイルランド女子ラグビーフットボール協会とスコットランド女子ラグビー協会がそれぞれアイルランド協会とスコットランド協会の女子部門となった[80][81]。2010年には、イングランドの女子ラグビーフットボール協会がイングランドラグビー協会の構成部門となった[82]。
2010年(平成22年)、日本ラグビーフットボール協会内に女子委員会が設立され、日本女子ラグビーフットボール連盟は発展的解消となる[83]。
サクラフィフティーン、サクラセブンズ
2013年(平成25年)6月18日、女子日本代表の愛称「サクラフィフティーン」「サクラセブンズ」が決まる[84]。
2016年2月、女子の国代表チームにも、男子と同じく世界ランキングが導入される[85]。
2016年(平成28年)8月、2016年リオデジャネイロオリンピックで、初めて7人制ラグビーが正式競技として実施された。日本男子は12チーム中4位[86][87]、女子は12チーム中10位[88]。
2016年(平成28年)、日本では第71回国民体育大会から女子7人制ラグビーが加わる(2014年・2015年はエキシビジョンマッチを実施)[89]。
2016年12月香港で開催のアジア・オセアニア地区予選で、日本代表は香港とフィジーを破り1位突破[90]。4大会ぶり(16年ぶり)4回目の女子ラグビーワールドカップ出場を決めた。
2018年5月18日、元日本代表の浅見敬子がワールドラグビーの理事に選出された[91][92]。10月17日、男女7人制日本代表および女子15人制日本代表にもキャップ制度を導入。過去にさかのぼって対象者にキャップを授与する[93][94][95][96]。
2021年(令和3年)7月、東京オリンピック2020が開催され、7人制ラグビー男子日本代表は12国中11位[97][98][99]。7人制ラグビー女子日本代表は5戦全敗で12国中12位[100][101][102]。
2022年(令和4年)5月12日、ワールドラグビーが2033年までのワールドカップ(15人制)開催地を決定した。2027年男子と2029年女子はオーストラリアで、2031年男子と2033年女子をアメリカ合衆国で開催[103]。男女セットで開催地を決定する方針により、ワールドカップ日本開催を再誘致する上で女子ラグビーの充実が不可欠となる[104][105][106]。
2023年(令和5年)4月12日、日本ラグビーフットボール協会は「女子ラグビー中長期戦略計画」を発表。あわせて岩渕健輔専務理事は、2035年に男子ワールドカップ、2037年に女子ワールドカップの日本開催への希望を示した[107][108][109]。また、1,000人程度の女子の選手登録者数を「年率6.5%で拡大させて2050年に1万人を達成」することが示された[107]。
2023年10月13日、女子15人制の新しい世界大会「WXV」を開催[110][111]。女子ワールドカップ開催年を除き、毎年行う[112][113]。
2024年(令和6年)7月 、女子7人制日本代表は、プール戦で1勝2敗。9位決定トーナメントの準決勝で勝利し[114]、最終戦となる9位/10位決定戦については配信のほかに急きょNHK BSでも録画放送することが決定[115]。2016年リオデジャネイロオリンピックの10位を超える、過去最高の9位を獲得した[116][117]。
2025年(令和7年)2月3日、ワールドラグビーのブレット・ロビンソン会長[118]とアラン・ギルピンCEO[119]が来日。ラグビーワールドカップ2035(RWC2035)と、女子RWC2037の開催地に関しても話し合う。RWC2035には、日本、スペイン、イタリア、イギリス&アイルランドが立候補している[120][121]。

2025年(令和7年)2月23日、7人制ラグビー最高峰ワールドシリーズ「HSBC SVNS 2025」第4戦(バンクーバー大会)で、7人制女子日本代表が過去最高の4位となった[122][123]。
2025年(令和7年)6月22日、15人制の日本代表ジャージを刷新[124]。これまで男子ワールドカップ開催年で更新してきたジャージを、女子ラグビーワールドカップ開催年で変更するのは初めてとなる[125]。
主な大会
国際大会
- 女子ラグビーワールドカップ - 1991年から4年に1度開催
- WXV - 2023年からワールドカップ開催年以外に毎年開催
- ラグビーワールドカップセブンズ
- ワールドラグビーセブンズシリーズ
- 女子シックス・ネイションズ
国内大会
- 全国女子ラグビーフットボール選手権大会(全国女子15人制大会)
- ウィメンズセブンズシリーズ(全国女子7人制大会)
- 大学女子7人制ラグビーフットボール交流大会(大学女子7人制大会)
- 全国U18女子セブンズ(高校女子7人制大会)
- サニックス・ワールド・ラグビー・ユース交流大会(高校女子7人制世界大会)
- 全国高等学校女子ラグビーフットボール大会(地域選抜チーム対抗・高校女子大会)
出典
- ^ worldrugby.org. ““Let this upward trajectory continue” – how the women’s game soared in 2023 | ワールドラグビー”. www.world.rugby. 2025年8月27日閲覧。
- ^ a b c d “England v Scotland - 1881”. www.donmouth.co.uk. 2025年7月28日閲覧。
- ^ a b “Emily Valentine – the first lady of rugby” (英語). World Rugby Museum: from the vaults. (2014年8月13日) 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Rugby Football History”. www.rugbyfootballhistory.com. 2025年7月29日閲覧。
- ^ “Valentine was first lady of rugby” (英語). (2010年2月11日) 2025年7月28日閲覧。
- ^ Ilse Hartmann-Tews and Gertrud Pfister (2003). Sport and Women. Social Issues in International Perspective. Routledge. ISBN 0-203-98708-X
- ^ “Women, Sport and the First World War - University of Wolverhampton” (英語). www.wlv.ac.uk. 2025年7月28日閲覧。
- ^ a b c “Newport Ladies, 1917” (英語). World Rugby Museum. 2025年7月28日閲覧。
- ^ a b “How a courageous duo helped women's rugby league kick off in 1921” (英語). National Rugby League. (2018年12月23日) 2025年7月28日閲覧。
- ^ a b “A Mans Game? Women Playing Rugby Union in Australia.”. digital.la84.org. 2025年7月28日閲覧。
- ^ 『アサヒグラフ』 16巻、13号、朝日新聞社、1931年3月25日、4-5頁。
- ^ “The Belles of St Mary's, a female rugby team from the town of St...” (イタリア語). Getty Images (2004年4月17日). 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Les Violettes Bressanes : 40 ans de rugby féminin” (フランス語). France 3 Auvergne-Rhône-Alpes 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Le rugby féminin : de l'Association Française de Rugby Féminin à la FFR” (フランス語). www.staderennaisrugby.fr. 2025年7月28日閲覧。
- ^ a b c Guest (2012年1月17日). “The Participation of American Women in Rugby; By Savannah Adams %” (英語). Your Scrumhalf Connection - Women's Rugby News. 2025年8月27日閲覧。
- ^ “La Stampa - Consultazione Archivio” (イタリア語). www.archiviolastampa.it. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Le donne del rugby. Dalla clandestinità agli autografi, una rivoluzione culturale | Veneto blog” (イタリア語). venetoblog.corrieredelveneto.corriere.it. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Intervista alle Red Panthers sulla rivista Logyn, Gruppo Eurosystem Sistemarca | Logyn”. www.logyn.it. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “De Historie van | Rugby Nederland” (オランダ語). www.rugby.nl. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Histoire du Rugby Féminin - Comité Rugby 31” (フランス語). www.cd31rugby.com. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Het vrije volk : democratisch-socialistisch dagblad”. Het vrije volk : democratisch-socialistisch dagblad. (1982年6月14日) 2025年7月28日閲覧。
- ^ a b Taylor, Mark. “How a game for a laugh led to Deborah Griffin blazing a trail to develop women’s rugby” (英語). Cambridge Independent 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Home”. 大阪ラグビースクール. 2025年7月29日閲覧。
- ^ “歴史”. 大阪ラグビースクール. 2025年7月29日閲覧。
- ^ a b c d e 兼松由香, 來田享子 (2023). “日本の女子ラグビー統括組織創立(1988年)以前設立の 女子ラグビーチームに関する検討 - 1979年から1982年までに東北地方で設立されたチームに着目して”. スポーツ史研究 (スポーツ史学会) (第36号): 6 .
- ^ “年代史 女子ラグビーの歩み”. JRFU. 2023年1月15日閲覧。
- ^ “女子ラグビー15年の歴史”. JRFU. 2023年1月16日閲覧。
- ^ [https://sport.ilmessaggero.it/altrisport/rugby_azzurre_tonna_cap_caps_berretto_olimpico_italia_argentina_coni-217105.html “Rugby, dal 1985 ad oggi: ecco il cap per tutte le azzurre”] (イタリア語) 2025年7月28日閲覧。
{{cite news}}
:|title=
の25文字目に改行が入力されています。 (説明)⚠ - ^ “Uisp dice la sua sulla legge per lo sport (PDF)”. l'Unità. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “la Gazzetta dello Sport, 6 marzo 1985., da Valeria Frigerio (a cura di), La «Carta dei diritti delle donne nello sport» ed altre storie… Bologna, 14 novembre 2010”. Unione Italiana Sport Per tutti. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Wales Women v England: 30-year anniversary” (英語). RFU 2025年7月28日閲覧。
- ^ “年代史 女子ラグビーの歩み”. JRFU. 2023年1月15日閲覧。
- ^ “女子ラグビー15年の歴史”. JRFU. 2023年1月16日閲覧。
- ^ “年代史 女子ラグビーフットボールの大会の歴史”. JRFU. 2023年1月15日閲覧。
- ^ “女子ラグビーの現在、そして未来”. www.jpnsport.go.jp. 2023年1月21日閲覧。
- ^ “女子ラグビー15年の歴史 - 第1回女子ラグビー交流大会(1988年)”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ “女子ラグビー15年の歴史”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ “年代史 女子ラグビーフットボールの大会の歴史”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ (フランス語) Coupe d'Europe de rugby féminin à Bourg en Bresse | INA 2025年7月28日閲覧。
- ^ “女子ラグビー15年の歴史 - 海外遠征と外国チーム招聘の記録”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ “Histoire du Rugby Féminin - Comité Rugby 31” (フランス語). www.cd31rugby.com. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Rugby Database: RugbyFest 1990 (W) 1990 Profile & Stats”. www.rugbydatabase.co.nz. 2025年8月27日閲覧。
- ^ “Women's World Cup history” (英語). (2002年5月13日) 2025年7月28日閲覧。
- ^ Curtin, Jennifer (2016-11-21). “Before the ‘Black Ferns’: Tracing the Beginnings of Women’s Rugby in New Zealand”. The International Journal of the History of Sport 33 (17): 2071–2085. doi:10.1080/09523367.2017.1329201. ISSN 0952-3367 .
- ^ “20 facts about the Women's Rugby World Cup” (英語). All Blacks. 2025年7月28日閲覧。
- ^ JRFU (2004年4月8日). “女子ラグビー15年の歴史 - 海外遠征と外国チーム招聘の記録”. www.rugby-japan.jp. 日本ラグビーフットボール協会|RUGBY:FOR ALL「ノーサイドの精神」を、日本へ、世界へ。. 2021年9月27日閲覧。
- ^ “年代史 女子ラグビー国際交流試合”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ clubrugby (2024年7月3日). “Ground breakers – Paremata-Plimmerton Women, 1990” (英語). ClubRugby.nz. 2025年8月27日閲覧。
- ^ “WebCite query result”. www.webcitation.org. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “サクラ15・世界挑戦のこれまでとこれから”. RUGBY JAPAN365. 2023年1月16日閲覧。
- ^ “15人制女子日本代表 代表キャップ対象試合”. JRFU. 2023年1月16日閲覧。
- ^ worldrugby.org. “日本女子ラグビー、開拓の挑戦とワールドカップ Part 1 | ワールドラグビー”. www.world.rugby. 2023年1月24日閲覧。
- ^ “World Cup: review”. womensrugbyhistory.blogspot.com. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “The history of the Women’s Rugby World Cup” (英語). RFU 2025年7月28日閲覧。
- ^ a b “Women's Rugby World Cup 1994” (英語). Rugby World Cup 2025 England. 2025年8月27日閲覧。
- ^ a b c d “The history of the Women's Rugby World Cup”. BBC Sport. 2025年8月27日閲覧。
- ^ “Women’s Rugby World Cup final held at Raeburn Place - Raeburn Place Foundation”. www.raeburnplacefoundation.org. 2025年8月27日閲覧。
- ^ “年代史 女子日本代表の活動”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ a b “年代史 女子ラグビー国際交流試合”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ “【女子ラグビー検討委員会報告・引継書】”. adeac.jp. 2025年7月30日閲覧。
- ^ “England's women triumphant” (英語). The Independent 2025年7月28日閲覧。
- ^ Slot, Situs Togel. “Pepsitogel / Login Link RTP Slot Guna Jepe Puas” (Indonesia). scrumqueens.com. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “RugbyArchive”. www.rugbyarchive.net. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “World Cup: Home nations prepare”. womensrugbyhistory.blogspot.com. 2025年7月28日閲覧。
- ^ a b “日本ラグビーフットボール史 日本の女子ラグビーが正式加盟”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ a b “年代史 女子日本代表の活動”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ “年代史 女子ラグビー国際交流試合”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ worldrugby.org. “日本女子ラグビー、開拓の挑戦とワールドカップ Part 1 | ワールドラグビー”. www.world.rugby. 2023年1月24日閲覧。
- ^ “Women's Six Nations - History - Guinness Women's Six Nations” (英語). www.sixnationsrugby.com. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Carte d'identité Nom : équipe de France féminine de rugby” (フランス語). L'Humanité. (2000年8月9日) 2025年7月28日閲覧。
- ^ “女子セブンズ日本代表 代表キャップ対象試合”. JRFU. 2023年1月16日閲覧。
- ^ “年代史 平成14年(2002)度”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ “年代史 平成14年(2002)度”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ “年代史 女子ラグビー国際交流試合”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ “Oceania:”. www.oceaniarugby.com. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Oceania:”. www.oceaniarugby.com. 2025年7月28日閲覧。
- ^ rugbybworldcup.com. “World Rugby announces new Women’s Rugby World Cup 2021 Qualification Pathway” (英語) 2025年7月28日閲覧。
- ^ a b “年代史 女子ラグビー国際交流試合”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ “Wayback Machine”. www.wru.co.uk. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Women vote to join up with the SRU” (英語). www.scotsman.com. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Wayback Machine”. www.scottishrugby.org. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “Wayback Machine”. www.englandrugby.com. 2025年7月28日閲覧。
- ^ “女子ラグビーの現在、そして未来”. 国立競技場. 独立行政法人日本スポーツ振興センター. 2022年12月29日閲覧。
- ^ “女子日本代表の愛称が決定 15人制は「サクラフィフティーン」7人制は「サクラセブンズ」”. JRFU. 2023年1月27日閲覧。
- ^ worldrugby.org. “大会及びランキング | World Rugby”. www.world.rugby. 2023年5月29日閲覧。
- ^ “男子ラグビー日本代表「第31回オリンピック競技大会」試合結果”. 日本ラグビーフットボール協会. 2022年12月25日閲覧。
- ^ “4年後の東京につなぐ大奮闘! セブンズ男子日本、南アに完敗で4位 - ラグビーリパブリック” (2016年8月12日). 2022年12月25日閲覧。
- ^ “女子セブンズ日本代表「リオデジャネイロオリンピック2016」遠征レポート”. 日本ラグビーフットボール協会. 2022年12月25日閲覧。
- ^ “年代史 平成26年(2014)度”. JRFU. 2023年6月5日閲覧。
- ^ “年代史 女子ラグビー国際交流試合”. JRFU. 2023年1月21日閲覧。
- ^ “浅見敬子氏 ワールドラグビー理事 選出のお知らせ”. JRFU. 2023年1月26日閲覧。
- ^ worldrugby.org. “Historic day for World Rugby as expanded Council meets for first time | ワールドラグビー”. www.world.rugby. 2023年1月25日閲覧。
- ^ “男子セブンズ日本代表 代表キャップ対象試合”. JRFU. 2023年1月16日閲覧。
- ^ “15人制女子日本代表 代表キャップ対象試合”. JRFU. 2023年1月16日閲覧。
- ^ “女子セブンズ日本代表 代表キャップ対象試合”. JRFU. 2023年1月16日閲覧。
- ^ “セブンズ代表にもキャップ制度導入 日本ラグビー協会が決定 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年10月5日閲覧。
- ^ “金メダルを狙って、わずか1勝&12か国中11位 7人制ラグビー日本が惨敗に終わった理由”. THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュース・コラム. 2022年11月28日閲覧。
- ^ “ラグビー7人制 男子 最終順位 : 東京オリンピック2020速報”. 読売新聞オンライン (2019年7月29日). 2022年11月28日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2021年7月28日). “7人制ラグビー日本が初勝利、韓国に31ー19”. 産経ニュース. 2022年11月28日閲覧。
- ^ JRFU. “TOKYO2020ラグビー女子日本代表 大会最終戦結果及び試合後のヘッドコーチ、選手コメントのお知らせ|日本ラグビーフットボール協会|RUGBY:FOR ALL「ノーサイドの精神」を、日本へ、世界へ。”. www.rugby-japan.jp. 2022年11月28日閲覧。
- ^ “5戦全敗に終わった日本 地殻変動が起こる世界の女子7人制ラグビーで生き残れるのか”. THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュース・コラム. 2022年12月25日閲覧。
- ^ “ラグビー7人制 女子 最終順位 : 東京オリンピック2020速報”. 読売新聞オンライン (2019年7月29日). 2022年11月28日閲覧。
- ^ “2027年のラグビーワールドカップ開催国はオーストラリア! 31年はアメリカで初開催! - ラグビーリパブリック” (2022年5月12日). 2023年4月14日閲覧。
- ^ “女子ラグビー中長期戦略計画公表のお知らせ”. JRFU. 2023年4月13日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2023年4月12日). “ラグビーW杯男女招致へ 男子35年、女子37年視野”. サンスポ. 2023年4月12日閲覧。
- ^ “女子ラグビー中長期戦略計画 2023年4月1日”. JRFU. 2023年4月14日閲覧。
- ^ a b “女子ラグビー中長期戦略計画公表のお知らせ”. JRFU. 2023年4月13日閲覧。
- ^ “35年W杯招致を希望 ラグビー協会:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2023年4月13日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2023年4月12日). “ラグビーW杯男女招致へ 男子35年、女子37年視野”. サンスポ. 2023年4月12日閲覧。
- ^ world.rugby. “ワールドラグビー、新たな世界大会を発足し、女子15人制ラグビーをスーパーチャージさせるカレンダーを調整 | ラグビーワールドカップ”. www.rugbyworldcup.com. 2024年2月5日閲覧。
- ^ “https://twitter.com/worldrugby/status/1371748145214844928”. Twitter. 2023年1月23日閲覧。
- ^ “女子15人制ラグビーの新国際大会誕生へ! 2023年開始、日本にもビッグチャンス - ラグビーリパブリック” (2021年3月17日). 2023年1月23日閲覧。
- ^ worldrugby.org. “活気に満ちたブランドロゴの公開とともに WXVの開催地と開催日程発表 | ワールドラグビー”. www.world.rugby. 2023年5月15日閲覧。
- ^ “【パリ五輪セブンズ】女子2日目、ベスト8ならずも2勝のサクラセブンズ。最終戦で9位ねらう。 - ラグビーリパブリック” (2024年7月29日). 2024年7月30日閲覧。
- ^ “【TV放送予定のお知らせ】オリンピック競技7人制ラグビー女子”. JRFU. 2024年7月30日閲覧。
- ^ “パリ2024オリンピック 7人制ラグビー競技 女子日本代表 大会最終日結果のお知らせ”. JRFU. 2024年7月31日閲覧。
- ^ “【パリ五輪セブンズ】サクラセブンズ、有終の勝利で過去最高の9位に。退任の鈴木HC「選手の頑張りに感謝」 - ラグビーリパブリック” (2024年7月30日). 2024年7月30日閲覧。
- ^ worldrugby.org. “ブレット・ロビンソン氏がワールドラグビー会長に選出 | ワールドラグビー”. www.world.rugby. 2025年2月5日閲覧。
- ^ 編集ラグリパ編集部 (2021年3月19日). “ワールドラグビーの新しいCEOにアラン・ギルピン氏が就任 - ラグビーリパブリック”. 2025年2月5日閲覧。
- ^ “ラグビーワールドカップが再び日本で? 男女両大会開催に現実味!?(チケットぴあ)”. Yahoo!ニュース. 2025年2月5日閲覧。
- ^ 編集ラグリパ編集部 (2025年2月3日). “「ワールドラグビー」ブレット・ロビンソン新会長が来日。2035・2037年W杯開催可能性について協議。 - ラグビーリパブリック”. 2025年2月5日閲覧。
- ^ 編集ラグリパ編集部 (2025年2月24日). “【HSBC SVNS】サクラセブンズ、バンクーバー大会は過去最高4位でフィニッシュ。 - ラグビーリパブリック”. 2025年2月24日閲覧。
- ^ JRFU. “女子セブンズ日本代表(サクラセブンズ) HSBC SVNS 2025 バンクーバー大会 3日目(最終日)試合結果およびコメントのお知らせ|日本ラグビーフットボール協会”. www.rugby-japan.jp. 2025年2月24日閲覧。
- ^ JRFU. “ラグビー日本代表ジャージー新デザイン発表予定のお知らせ|日本ラグビーフットボール協会”. www.rugby-japan.jp. 2025年6月3日閲覧。
- ^ JRFU. “ラグビー日本代表ジャージー新デザイン発表予定のお知らせ|日本ラグビーフットボール協会”. www.rugby-japan.jp. 2025年6月3日閲覧。
関連項目
- 日本女子ラグビーフットボール連盟(1983年から2010年まで)
- 日本ラグビーフットボール協会(2010年から)
- ラグビー女子日本代表
- 7人制ラグビー女子日本代表
外部リンク
- JAPAN WOMEN’S RUGBY - 日本ラグビーフットボール協会による女子ラグビーポータルサイト
- Women's Rugby - ワールドラグビーによる女子ラグビーポータルサイト
- 女子ラグビー:新聞に見る沿革 - 1922年以降の英語新聞の記事
- Rugbydata - ラグビーを主題として男子・女子に同じ重みをかけ、今日まで記録が伝わる試合を総覧。特定のチームについてデータを追及できる。
- カナダの女子ラグビーの発展と人気の拡大(ジョン・A・オハンリー著、1998年) (PDF) (John A O'Hanley)
参考資料
- 「女子ラグビーの歴史」展 。ラグビー博物館主催(2006年、トウィッケナム)
- 女子ラグビー年表
- World Rugby Museum 国際ラグビー博物館。
女子ラグビー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:55 UTC 版)
「慶應義塾大学の人物一覧」の記事における「女子ラグビー」の解説
白子未祐 - 7人制女子日本代表、ナナイロプリズム福岡、大学時代はラクロス部に所属。 佐藤優奈 - 女子日本代表、東京山九フェニックス。
※この「女子ラグビー」の解説は、「慶應義塾大学の人物一覧」の解説の一部です。
「女子ラグビー」を含む「慶應義塾大学の人物一覧」の記事については、「慶應義塾大学の人物一覧」の概要を参照ください。
「女子ラグビー」の例文・使い方・用例・文例
- 女子ラグビーのページへのリンク