音楽家への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:21 UTC 版)
国立音楽大学器楽科ピアノ専攻に進学。在学中よりバンドのキーボーディスト、東京おとぼけキャッツのメンバーとしても活動。その一方、作曲家・鈴木邦彦経営のポップスク講師として、スタジオにもミュージシャンとして出入りを始める。1978年卒業。 祖父の病の看病のため、一切の外部音楽活動をやめて子どもたちの音楽教室を開く。持ち前の絶対音感、即興性、コピー能力を活かし、徹底的に楽しい「生徒がやめないレッスン」を提供する。 祖父死去の後、28歳の時にロサンゼルス・オリンピックのファンファーレに感銘を受け、作曲者のジョン・ウィリアムズに弟子入りしようと思い立ち渡米。ウィリアムズへの師事は叶わなかったが、1985年にアメリカ・バークリー音楽学院へ留学。CRAIG NAJJARに師事、ピアノ、アレンジ、ソングライティング、指揮などを習う。 帰国後 ピアノプレーヤ(YAMAHAの自動演奏ピアノ)のソフト作りに関わり、日本テレビ『スクスクのびのび』、ソニーハンディカムのコマーシャルなどの音楽を制作。 一方、幼稚園などで幼児教育にも力を注ぎ、即興でその現場に合う歌をつくり、ライブ感溢れる授業をつづけた。それが主婦の歌へとつながる。2006年よりNYパワーハウスと共に歩み始め、「半径5メートルの日常を歌う音楽家」として知名度を上げていく。なお、歌の作詞は4歳年下の妹でドッグシッターの秦典子が多数担当している。
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