音楽家となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/18 22:36 UTC 版)
「フロイド・ウェスターマン」の記事における「音楽家となる」の解説
フロイドはAIMでの活動の中で、インディアン作家のヴァイン・デロリア・ジュニアと交流を深め、ヴァインの詩に曲を提供し始めた。1969年に、ニューヨークのレコード会社がフロイドと契約、翌年ヴァインの著作『カスターはその罪ゆえに死んだ』を題名にして、初のアルバムがリリースされた。以後、コロラド州を拠点に、インディアン運動を音楽で表現し始め、アルバムの自費出版を続けた。音楽スタイルはカントリー・ウェスタンだった。ジャクソン・ブラウン、ウィリー・ネルソン、ボニー・レイット、ハリー・ベラフォンテ、ジョニ・ミッチェル、クリス・クリストファーソン、バフィー・セント=マリーといった様々な人種の音楽家とセッションを行っている。 1990年代からは、熱帯雨林保全の資金調達のため、スティングとともに全世界公演を行った。2000年には、「アメリカインディアン博覧会」で、「本年度の有名人」に選ばれた。 2007年12月13日、カリフォルニア州ロサンゼルスで、白血病により死亡。71歳だった。遺体は故郷サウスダコタに埋葬された。妻ロージーとの間に、ジェニファー、リチャード、チャンテ、チェノア、ニキの5人の子供がいる。
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