音楽家との交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 06:02 UTC 版)
「レオン=ポール・ファルグ」の記事における「音楽家との交流」の解説
ファルグはラヴェル、サティなど、近代フランスの作曲家・音楽家との交際によって知られ、ドビュッシーやラヴェルに関する随筆も残している。 ファルグは1900年頃にラヴェルらと共に芸術サークル「アパッシュ」を旗揚げし、ドビュッシーの歌劇『ペレアスとメリザンド』など、当時の最先端の音楽を擁護した。1917年のバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)によるバレエ『パラード』(台本:ジャン・コクトー、音楽:エリック・サティ、美術:パブロ・ピカソ)に対するスキャンダルは、サティの裁判へと発展したが、ファルグはコクトーらとサティを擁護し、法廷に詰め掛けた。また、1921年に行われたバレエ・スエドワ(スウェーデン・バレエ団)によるバレエ『エッフェル塔の花嫁花婿』(台本:コクトー、音楽:「フランス6人組」の合作)の初演の際には、ファルグは野次を飛ばす聴衆の顔をめがけてステッキを投げつけた。
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