経歴と作品概論とは? わかりやすく解説

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経歴と作品概論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 03:54 UTC 版)

水野修孝」の記事における「経歴と作品概論」の解説

1934年徳島生まれる。父親千葉大学化学教えた人物2歳時に千葉県引っ越し、現在も千葉県八千代市在住戦争末期疎開行った際、2回に分けて荷物運んだが、2回目荷物運び出す前に空襲の被害を受けるが 1回目運んだ荷物中にピアノ含まれていたことが、その後彼の人生を決定づけた。 中学時代学問芸術スポーツなどあらゆることに熱中するが、それらの中で音楽に最も惹かれるうになる千葉大学文学部入学後法経学部法律政治科に転科学内オーケストラ千葉大学管弦楽団)でヴィオラを弾くが、やがて才能周囲認められ大学3年より指揮をするようになる以後1995年まで指揮続けた)。またその頃東京交響楽団定期演奏会聴いたヘンツェ交響曲第2番大きな感銘を受け、作曲家志す大学4年の時、音楽志す決意を完全に固め半年受験準備をして東京藝術大学楽理科入学した柴田南雄長谷川良夫小泉文夫師事し1961年卒業した。特に柴田小泉2人からは多大な影響受けた作曲家としての正式デビューは、1961年の「金管群のための3つの次元」。初期は、譜面中に演奏者自主的に演奏部分演奏法選択できる部分盛り込み演奏者自発性引き出すことを試みる。この頃代表作としては、「声のオートノミー」(1964年)、「オーケストラ1966」(1966年/1973年改訂)などがある。当時作品サウンドは、師の柴田南雄逆に影響与えたとされる東京藝大在学中小杉武久出会い学内ヴァイオリンチェロ即興演奏始める。やがて塩見允枝子刀根康尚戸島美喜夫、柘植元一武田明倫が加わり卒業後「グループ音楽」という集団結成するコンサートホール野外などあらゆる場所で、ジョン・ケージばりの集団音楽パフォーマンス繰り広げた当時藝大にはオノ・ヨーコ出入りしており、ステージパフォーマンスでのコラボレーション経験がある。 1960年代後半米国より渡辺貞夫帰国しジャズ理論講座開催することになると、彼はこれを皆出席受講しジャズ理論を完全にマスターする。そしてジャズ作品次々発表し始め1973年発表されビッグバンドによる「ジャズ・オーケストラ'73」や、1975年発表された「ジャズ・オーケストラ'75」は、日野皓正渡辺香津美中村誠一村上秀一ジャズ界のトッププレーヤーたちの手により演奏され迫力あるドライブ感と大音響聴衆圧倒した。特に「'73」は、現代音楽の手法を採り入れた当時としては非常に破天荒な作風であり、ジャズ現代音楽両分野で多大な反響呼んだ1974年ロックフェラー財団からの招聘で、武満徹一柳慧高橋悠治と共に1年間米国へ留学する米国音楽家との交流で「純血文化はやがて淘汰されこれから世界席捲していくのは混血文化である」との確信を得、クラシック、現代音楽ジャズなど様々なジャンル技法一つ作品中に混在させ、統合を図る「ポスト・モダン」的作風へと結びつき帰国後に発表作品反映される留学後、自らが日本人であることを意識するようになり、お囃子和太鼓などの伝統音楽素材楽器が高い頻度作品登場するうになる1987年1961年構想され、様々な作品試みたクラシック、現代音楽ジャズ、ロックなど技法が、縦横無尽駆使されている3時間の大作交響的変容4部作完成する第1部から第3部までは通常のコンサート会場演奏されたが、第4部合唱とオーケストラ変容」は、演奏時間2時間演奏者700人を要する為、上演機会はないと諦めていたが、バブル経済最盛期であったこと、千葉県幕張メッセ杮落とし上演された「第3部」が好評呼んだことなどから、地方自治体援助のもと、大手企業から協賛金寄せられ1992年9月20日幕張メッセで全4部作の上演が実現された。(岩城宏之指揮東京交響楽団東京混声合唱団栗友会合唱団等)。 その後は、叙情性増し、歌うような旋律頻繁に出現するうになる交響詩『夏』(1989年交響曲第2番佐倉』(1991年歌劇ミナモ』(1991年)などにその特徴顕著に現れている。1990年代よりミュージカル作曲八千代市の子供のための「泣きたくなったら笑うんだ」(1993年岡本おさみとの共作)「ミュージカルシアターヒラソル」のための「イノセント・ムーン」(1999年空矢庵(金井誠ペンネーム台本)などが誕生するミュージカルから生まれた親しみやすいメロディーは、交響曲第4番2003年)や千葉室内弦楽合奏団のために作曲した作品にも反映されている。 1955年から1995年まで、千葉大学管弦楽団で、ベートーヴェンブラームスマーラー等の作品指揮1968年には、千葉県初演ベートーヴェンの「交響曲第9番指揮した1960年代後半から1999年まで千葉大学教育学部教鞭執りながら、民俗音楽流行歌研究した東京藝術大学講師務める。千葉大学退職後、静岡文化芸術大学教授武蔵野美術大学講師務めた千葉大学での門下生には青木愛がいる。

※この「経歴と作品概論」の解説は、「水野修孝」の解説の一部です。
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