経歴と学績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 01:38 UTC 版)
コリン・レンフルーは、1937年、イングランド北部のストックトン=オン=ティーズ(ダラム州)に生まれ、イングランド南東部のハートフォードシャーにあるセント・オールバンズ・スクール(英語版)に学び、1956年から1958年にかけてイギリス空軍の兵役に就いた。その後、ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ(英語版)に入学し、考古学と人類学、自然科学を学び、1962年に卒業した。1965年に「キクラデス諸島における新石器時代及び青銅器時代文化と対外関係 (Neolithic and Bronze Age cultures of the Cyclades and their external relations)」と題する博士論文を提出して、その年にジェーン・ユーバンク(Jane M.Ewbank)と結婚した。 1965年からシェフィールド大学で先史学と考古学の講師をつとめ、1968年から1970年の間にギリシャのシタグロイ遺跡を調査した。また、1968年には、シェフィールド・ブライトサイド選挙区から保守党 候補として立候補したが落選する一方、ロンドン古代学協会のフェロー(Fellow、特別研究員)に選ばれている。1970年にはスコットランド古代学協会(英語版)のフェローにも選ばれた。1972年、サウサンプトン大学でバリー・カンリフ(英語版)卿の後任として考古学担当教授となった。サウサンプトン時代のレンフルーは、スコットランド北方オークニー諸島のカンターネス(Quanterness)遺跡や、ギリシャのメロス島にあるフィラコピ遺跡(英語版)の発掘調査を指揮している。 1973年、レンフルーは、「文明以前:放射性炭素年代測定革命と先史時代のヨーロッパ (Before Civilisation: The Radiocarbon Revolution and Prehistoric Europe)」を著した。これは、ヨーロッパの先史文化の変革、発展は中東を起源としており、それがヨーロッパに普及したという仮説を論じようとするものであった。また、レンフルーは、「クルガン仮説」の主唱者であるマリア・ギンブタスとともにシタグロイ遺跡の調査をしている。 1981年、レンフルーは、ケンブリッジ大学のディズニー教授職に選ばれて着任し、2004年に退職するまで教授職にあった。1987年、レンフルーは「考古学と言語:原インドヨーロッパ語族の起源の謎 (Archaeology and Language: The Puzzle of the Indo-European Origins)」を著し、1990年、ケンブリッジ大付属のマクドナルド考古学研究所(英語版)の所長となった。また、1986年から1999年までケンブリッジ大学ジーザス・カレッジ(英語版)の学寮長を務めている。 レンフルーは、2004年に先史考古学の分野で名誉あるバルザン賞を受賞した。同じ年にケンブリッジ大の職を辞し、アテネ・ブリティッシュスクールの運営理事長になった。2005年から2006年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校のコットセン考古学研究所(The Cotsen Institute of Archaeology)の招聘研究者となった。なお彼は、1991年、「ケイムズソーンのレンフルー男爵」として一代貴族に叙せられている。
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