経歴と展覧会歴
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1928年に北海道小樽市に生まれ、1941年から独学で絵画を描き始める。1953年に北海道から東京に移住。 1954年に東京、銀座一番館にて初の個展を開催した。1960年代にはフランス文学者で芸術評論家、作家としても著名な栗田勇と親交を深めるようになった。1984年に、東京、銀座アートセンターにて3度目の個展を開催した。1985年には、アメリカ合衆国の抽象表現主義のポール・ジェンキンス(英語版)と親交を結び、作品の交換も行った。 1980年に、東京、銀座のロイヤルサロン・ザ・ギンザにて2度目の個展を行った。 1987年の3月24~4月18日に、初の海外での個展をアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.の世界銀行ギャラリー(The World Bank Art Society)主催で行った。 引き続いて、翌年1988年には、アメリカ合衆国のニューヨークにあるキース・グリーン・ギャラリー主催の2度目の海外個展を行った。 その翌年1989年の9月29日から10月13日まで、フランス人ファッション・デザイナーのピエール・カルダンが、フランスのパリにある自身の劇場「エスパース・カルダン(フランス語版)」を提供して、3度目の海外個展を主催した。美術評論家のアンドレ・パリノ(フランス語版)、ベルトラン・デュプレッシ(Bertrand Duplessis)、ピェール・レスタニ(フランス語版)が招かれ、各氏ともフランスの芸術雑誌に論評を寄稿している。 1992年には、フランスのパリにあるパガテル公園のオランジュリー美術館にて、フランスでの2度目の個展を、9月9日から10月11日までの約1か月間にわたり開催した。 また1993年には、モナコ皇太子財団主催のモンテカルロ国際美術展に招待出品した。この頃は、アトリエをノルマンディーにあるルイ14世時代のシャト―・ル・ルパ(フランス語版)、アメリカ合衆国のニューヨーク、東京の築地の3か所に持ち、各アトリエを行き来した。 1996年には、東京アメリカンクラブで作品展示があった。1997年には、ロイヤル・サロン・ザ・ギンザでの2度目となる個展を開催した。 その後、アトリエを千葉県旭市に移して絵画の制作を続けたが、病のため、最後は東京の病院で80歳の人生を終えた。
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