音楽家としての足跡とは? わかりやすく解説

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音楽家としての足跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:51 UTC 版)

クララ・シューマン」の記事における「音楽家としての足跡」の解説

クララの父フリードリヒ・ヴィーククララが幼いときに妻(クララの母で歌手)と離婚した。妻の収入頼っていた父フリードリヒは自らの子たちに目を向け、一番可能性がありそうなクララにだけ教育施し、他の子供の育児放棄していたという。彼はクララを「第二モーツァルト」に仕立てようとしていたと言われる一説には彼女が日記に書く内容まで指示していたという。 クララ12歳の頃には彼女はヨーロッパで演奏会をして回るようになり、聴衆はもちろん多く音楽好き著名人皇帝音楽家などからも絶賛された。『新音楽時報』ではフランツ・リストジギスモント・タールベルクアントン・ルビンシテイン同等に評価され1838年当時オーストリア皇帝フェルディナント1世は、18歳の彼女を「天才少女(ヴンダーメートヒエン)」と呼びオーストリアでもっとも栄誉ある「王室皇室内楽奏者」の称号外国人女性立場では前例のない名誉)を与え、また多く神童青年メンデルスゾーンなど)達を自宅招き演奏させていた詩人ゲーテも「才能ある芸術家クララ・ヴィークのために」という銘文刻んだメダル贈ったクララ演奏聞いたショパンは「僕の練習曲集弾ける唯一のドイツ人女性」と絶賛し、その演奏のことをショパンから聞いたリストは、ライプツィヒ出版業者フリードリッヒ・ホフマイスターの手紙の中で、「力強く知性的に、正確に」弾くこの若い女性演奏を今すぐにでも聴きたいそのようなピアニストがいることは「どの国でもきわめて稀な現象」であると書いた。 彼女は父ヴィークから演奏家として責任は、作曲家精神意図にできる限り近い演奏をすることと教えられていたので、演奏する曲をトリル極端なテンポなどで好きなように装飾するリスト演奏には否定的であった作曲家としても幼くして才能発揮していた。しかし、当時女性作曲家になることは世間認められておらず、女性というだけで曲を正当に評価してもらえなかった。そのために37歳の頃に作曲をやめ、ピアニストおよびピアノ教師として生きること決意する。彼女の作品聴いたリストは 「クララ・シューマン作品本当に驚くべきものです。特に女性としては。それらの中にはタールベルクリストライバル)の過去と現在すべての幻想曲比べてみても、100倍もの独創性真の感受性あります」 と絶賛した手紙パリ音楽誌『ルビュ・エ・ガゼット・ミュジカル』と『新音楽時報』に投稿しクララ歌曲3曲をピアノ独奏曲編曲したロベルトとは若い時から協作を行っていた。自分たちで作った主題やり取りしあった結果としてロベルトは『クララ・ヴィーク主題による即興曲』、『ピアノソナタ第3番』にクララ主題用いている。また、ロベルト早い晩年には共同フーガ研究いそしみそれぞれフーガ残している(クララ作品ロベルトから与えられ主題を基にしている)。また、初期ピアノ協奏曲オーケストレーションの際にロベルトの手借りている。 ロベルト・シューマンとは8人の子供を儲けた1840年代ひっきりなしに妊娠しながら、ヨーロッパ回って演奏会行っており、大変なハードスケジュールであったことが日記残されている。ただし子沢山ではあったが、長男エミール1歳死亡し末子フェリックスロベルト精神病院収容されたので父の顔を覚えていない(フェリックスには詩の才能があり、ブラームスの「我が恋は緑」Op.63-5など3曲の詩に曲を付けている)。三男フェルディナントロベルト精神障害部分的に遺伝したことが原因自殺した。なお、ロベルト子煩悩であったが、彼女自身は「子供3、4人で十分」という言葉を残している。ロベルト死後クララ精神病イメージ付いて回った彼の名誉を守るために奔走し最晩年作品のほとんどや手紙大半廃棄しているため、後世からは批判を受けることとなったクララ三男フェルディナント長女ユーリエフランクフルト自宅引き取って育てていたが、ユーリエベルリン寄宿学校入った時からクララは彼女宛に手紙出していた。50通にのぼるその書簡親族によって大切に保管され1990年出版された。 多く弟子残したものの、シューマン演奏晩年まで執心したのは、最後直弟子であり、世界初シューマンピアノ独奏作品選集録音残した作曲家ピアニストのアデリーナ・ダ・ララ(1872年 - 1961年)だけだった

※この「音楽家としての足跡」の解説は、「クララ・シューマン」の解説の一部です。
「音楽家としての足跡」を含む「クララ・シューマン」の記事については、「クララ・シューマン」の概要を参照ください。

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