シューマン, クララ
1819年ライプツィヒに生まれた。父のフリードリヒ・ヴィークは音楽家に育てるべく、5歳から英才教育を始める。やがてクララは、父とともに演奏旅行を始め、ヨーロッパ中で天才少女として輝かしい成功を収める。1840年に、ヴィークの執拗な反対で裁判沙汰にまで発展したロベルト・シューマンとの結婚が実現する。結婚生活では、ロベルトが作曲中は邪魔になるため十分にピアノを練習することができず、また家事や8人の子供の出産や育児に追われる日々だったが、それにも関わらずたゆまぬ努力で演奏活動やライプツィヒでの教鞭に励んだ。1856年、ロベルトは精神病院で生涯を終えたが、未亡人となってからも幼い子を育てるために精力的に演奏を行なった。またこの苦悩の時期に、ブラームスとの生涯にわたる親密な関係も始まった。
ピアニストとしてシューマンやショパンなどの同時代人やベートーヴェンの特に後期のソナタをレパートリーとし、世に広めた功績は大きい。
クララ・シューマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 14:51 UTC 版)
クラーラ・ヨゼフィーネ・シューマン(Clara Josephine Wieck-Schumann, 1819年9月13日 - 1896年5月20日)は、ドイツのピアニスト、作曲家。19世紀に活躍した女性ピアニストであり、また作曲家ロベルト・シューマンの妻としても広く知られている。
- ^ ナンシー・B・ライク『クララ・シューマン-女の愛と芸術の生涯-』(高野茂訳、音楽の友社、1986年)17頁
- ^ 『クララ・シューマン-女の愛と芸術の生涯-』55頁
- ^ a b 『クララ・シューマン-女の愛と芸術の生涯-』409頁
- ^ 『クララ・シューマン-女の愛と芸術の生涯-』409-410頁
- ^ „Mein liebes Julchen“. Briefe von Clara Schumann an ihre Enkeltochter Julie Schumann, hrsg. von Dietz-Rüdiger Moser, München 1990. 日本語訳:『おばあちゃんからの手紙:クラーラ・シューマンから孫娘ユーリエへ』ディーツ=リューディガー・モーザー編、伊藤はに子訳、春秋社、2000
- 1 クララ・シューマンとは
- 2 クララ・シューマンの概要
- 3 生涯
- 4 作品
- 5 演じた女優
固有名詞の分類
ロマン派の作曲家 | ヴィクター・ハーバート アドルフ・ベルンハルト・マルクス クララ・シューマン アウゴスト・エナ エミール・ボーンケ |
ドイツの作曲家 | ウィリアム・ハーシェル アドルフ・ベルンハルト・マルクス クララ・シューマン ゲオルク・ベーム カール・オルフ |
女性作曲家 | アガーテ・バッケル=グロンダール ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド クララ・シューマン エルフリーダ・アンドレー レベッカ・クラーク |
ドイツのクラシック音楽のピアニスト | クリストフ・エッシェンバッハ アリス=紗良・オット クララ・シューマン ベルンハルト・シュターフェンハーゲン フランク・グートシュミット |
- クララ・シューマンのページへのリンク