メンデルスゾーン【Felix Mendelssohn】
メンデルスゾーン 【Mendelssohn】
メンデルスゾーン
メンデルスゾーン 作曲家解説
【メンデルスゾーンの生涯】
19世紀前半のヨーロッパ市民社会に生き、ロマン派の詩情を歌いあげた作曲家、フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1809~47)。その美しい調べは、生前からこんにちに至るまで広く人々に愛されてきた。【メンデルスゾーンの生涯/メンデルスゾーンとピアノ/メンデルスゾーンの楽器/メンデルスゾーンの作品/メンデルスゾーンのピアノ独奏曲概観/現代のエディション】
有名なホ短調の《ヴァイオリン協奏曲》や、歌曲〈歌の翼に〉、ピアノのための〈春の歌〉、さらには〈結婚行進曲〉など、作曲者の名を知らずとも、誰しも耳にしたことがあるだろう。
作品表について
本項の作品リストは、2009年8月に刊行されたライプツィヒ版メンデルスゾーン作品集シリーズの一つで、ラルフ・ヴェーナー Ralf Wehner監修による「メンデルスゾーンの音楽作品における主題系統的目録 Thematisch-systematisches Verzeichnis der musikalischen Werke(MWV)」の情報をもとに整理されている。この作品目録(MWV)内では、AからZまでのアルファベット26文字を冠したカテゴリに作品を分類後、さらにカテゴリの中で年代順に配置している。これはメンデルスゾーンが自らの作品に作品番号を振る際に、制作年代順になるように注意をはらっていたことを重視した結果である。
当ピアノ曲事典においても、この分類にならい、まず演奏手段によって、「管弦楽とピアノの作品(O)」、「ピアノ独奏曲(U)」、「ピアノ合奏曲(四手連弾はT/2台ピアノはS)」、「室内楽(Q)」に分けており、作曲年代順に配列している。
ドイツの作曲家。ベルリンの富裕なユダヤ系の銀行家に生まれた。姉も音楽家となった。フェーリクスは神童ピアニストとしてデビューし、10才で作曲を始めた。旅行もよくし、特にパリでは老年のケルビーニ、オペラ作家マイヤベーアのほか、リストやフンメルなどピアノの名手にも知己を得た。家には絶えず高邁な文化人が出入りし、音楽のみならず哲学や文学の素養が培われた。1829年にベルリン・ジングアカデミーを指揮してバッハの《マタイ受難曲》を上演、大成功を博すも、ジングアカデミーの音楽監督の地位は手に入らず、35年にライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となって、ここにようやく活動拠点を見出した。
歌とピアノ
メンデルスゾーン
メンデルスゾーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/20 02:53 UTC 版)
メンデルスゾーン (Mendelssohn) は、ドイツ語圏のユダヤ人の姓。元の意味は「メンデルの息子」である。
- 1 メンデルスゾーンとは
- 2 メンデルスゾーンの概要
「メンデルスゾーン」の例文・使い方・用例・文例
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