有森家の人々
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有森桜子(ありもり さくらこ) → 松井桜子(まつい さくらこ) 演 - 宮﨑あおい(少女時代:美山加恋) ヒロイン。有森家三女。戦争に翻弄されながらも一途に音楽を愛し、持ち前の行動力と明るさ、弛まぬ努力で当初はクラシック音楽、やがてはジャズピアニストを目指すことになる。 健気でポジティブ。決めた事は必ず最後までやり通す意志の強さを持っている(笛子からはワガママだと見られることがあり、初期には衝突する場面が多かった)。物語当初は夢を追いかけるあまり周りをみえていない面があったが、冬吾や達彦と接していくうちに大きく成長していく。両親亡き後の有森家、さらには松井家と「山長」の精神的支柱となってゆくことになる。 女学生時代に下宿していた斉藤直道に惹かれ、これが初恋であった(斉藤の家庭の事情もあって消滅する)。 幼なじみの松井達彦とは当初は反発し合っていたが、同じ音楽家への道を志し、ともに音楽学校合格を目指す。が、桜子のみが不合格となってしまい、再受験の道を選択し、日中は働きながら西園寺の特別授業を受け、2度目の受験で見事に合格する。が、笛子が教師の職を追われることになってしまい、一家の生活を支えるために入学を諦める。 のち、達彦とは出征前に婚約を果たし、松井家で若女将修業を始め、かねに認められると通いで修業を続ける。笛子らが東京へ向かうと1人で岡崎に残る。戦時中は味噌の統制が行われるも、機転を利かせて「山長」の危機を救い、配給が滞りがちな中でも醤油作りなどにも着手する。 笛子が東京へ旅立つと身の回りの世話をするために後を追って東京へと向かう。 野木山からの電報で「山長」へ戻ると経営を巡ってタネらから邪魔者扱いされる。加えて達彦の安否が不明であることを磯から聞かされ、一足先に帰還したキヨシからは達彦の遺書を手渡され、一旦は達彦の戦死を覚悟するも磯の尽力で立ち直る。同様に達彦の生存を諦め始めていたかねのことを励まし、実の娘のように接するうちに心を通わせ合い、「お母さん」と呼ぶ間柄となる。 かねの死後、店も離れ、絶望していたところを冬吾に励まされたことで恋心を抱くも、笛子のことを思い冬吾への気持ちを断ち切る。 大空襲のニュースを耳にすると笛子らを心配して磯と東京に旅立つ。 笛子らと戻ると西野の紹介で小学生の事務員として働き始め、そのまま代用教員として勤務する。 昭和21年、かねの一回忌に帰省した達彦と再会。心に大きな傷を負った達彦を支えていくと決めた矢先、正規教員の復職に伴って代用教員の職を追われ、秋山の誘いにしたがって進駐軍相手の演奏を経験する。 達彦と正式に結婚・無事に妊娠するも、結核に侵されてしまい、自分と子の命の選択を迫られる。それでも前向きに、出産による自身への負担を顧みずに輝一を産む。が、昭和22年の診察時には病状が悪化する可能性が示唆される。その後、隔離されてしまい、本編ではその手に我が子を抱くことはできなかった。 最終回では輝一に向けて「苦難を乗り越えて精一杯生きる人生の輝かしさ・素晴らしさ」「たとえ命を失っても、マサから桜子へ、桜子から輝一へと『絆』は音楽の中に脈々と受け継がれること」「どんなに辛い時でも音楽を続けていれば何時も傍で見守っていること」を語った。 得意曲目は『埴生の宿』。そして『セントルイス・ブルース』である(父のお気に入りの曲でもある)。 最終回で静かに息を引き取ったと思われる。(原案『火の山―山猿記』でも同様) 有森笛子(ありもり ふえこ) → 杉笛子(すぎ ふえこ) 演 - 寺島しのぶ(少女時代:北乃きい) 桜子の姉。有森家長女。通称は「笛姉ちゃん」。モデルは原作者である津島佑子の母・津島美知子(旧姓:石原)。 母亡き後、家計を支えるためにも安定した女学校の教師(桜子も在籍していた)の職に就いていた。 杉冬吾とは初対面時には気が合わずにいたが、一緒にいるうちに意気投合し、紆余曲折あって無事に結婚。のちに3人の子供(加寿子・亨・由紀子)を授かる。結婚に際し、冬吾には「画家としての人生を歩んでほしい」との思いから、自分が家計を支えることを決める。 しっかり者で模範的行動を良しとしている。テキパキと家事をこなし、料理上手である。妹たちのみならず、叔母にもハキハキと物を言う。何事もきっちりしていないと気が済まない、几帳面すぎる、かつ頑固な部分がある。当初は生真面目すぎて融通が利かず、桜子からは「角が生えている」と言われ、事あるごとに衝突する場面が多かった。大人しすぎる杏子のことや末弟の勇太郎の進路も悩みのタネであった。 冬吾と結婚してからは夫の影響を受けてか、次第に角が無くなり穏和になっていった。が、冬吾の過去が知られてしまって教師の職を追われる。そのうち、だんだんと「冬吾が東京に行きたいのではないか」と考え始め、冬吾・杏子とともに東京へ向かう。戦況が厳しい中、第二子(亨)を出産し、亨の目の障害の可能性が判明すると家計と亨のために冬吾には秘密にして電話交換手として働き始める。 かねが亡くなると桜子を東京に呼び寄せるために冬吾に有森家を訪ねさせる。 大空襲では運良く子どもらと逃げ延びることができ、桜子との再会は果たせるが冬吾の行方が分からずにショックを受けていた。 大空襲後は家族で岡崎へ戻ることを提案、郵便配達の仕事を始めようとする。昭和19年、冬吾が津軽へ移り住むことを決めたため、再び桜子と離れて暮らす。 昭和21年頃には何人もの画商相手に冬吾の絵を売り、画商らをもてなすうちにすっかり麻雀も覚え、商売人となっていた。 桜子の結婚式に出席すると、また津軽へと戻って行き、昭和22年、子どもらの夏休みと冬吾の展覧会を兼ねて有森家を訪問。 桜子の結核を知ると当初は出産に反対の立場を取っていた。 杏子の再婚には河原のことがあるために否定的だったが、桜子が味方をしたことと鈴村の決意を聞いたことで認めた。 「有森家の長女」として気丈に振る舞ってはいるが、意外に打たれ弱い所がある(父からは見抜かれていたようである)。 終盤ではサザエさんのような独特のパーマをかけていた。 最終回では第三子を授かる。 有森杏子(ありもり ももこ)(一時期 河原杏子(かわはら ももこ)) → 鈴村杏子(すずむら ももこ) 演 - 井川遥(少女時代:尾﨑千瑛) 桜子の姉。有森家次女。通称は「杏(姉)ちゃん」。大人しい性格で自分を主張することは少ない。道徳心が強く、困っている者を放っておけない心優しい人柄。自分を犠牲にしてまで家族のことを最優先に考える傾向がある。「人のために何か役に立ちたい」との思いが根底にあり、笛子からは甘い考えだと思われがち。 自分とは異なり、まっすぐに夢に向かう桜子のことを応援しており、桜子が東京で生活しているときにはよく手紙を書いていた。 桜子と勇太郎を進学させるために河原亮一と見合い結婚するも、夫から暴力や家政婦同然の扱い(現在で言うDV)を受けたことが原因で離婚する。 その後は桜子に影響されたこともあってか、自分で職を得るために産婆の資格の取得に励み、やがて実家で開業する。厚意から指圧も行うようになっており、近所の老女たちから評判を得るも、冬吾の噂が広がったこともあり、なかなか軌道に乗らずにいた。そのうちに「自分も東京で働きたい」と思うようになり、笛子・冬吾と東京へと向かい、無事に正看護師の資格を得る。この頃に笛子の体調を気遣って手紙で桜子を東京へと呼び寄せる。 看護の道に進んで東京の病院で働いていた頃に鈴村浩樹と出会い、既婚であることを知ると若干のショックを受ける。 大空襲時には負傷者の手当てに従事しており、冬吾の処置も行う。また、運び込まれてきた浩樹と2年ぶりの再会をし、孤児の幸とも出会う。 笛子の一家で岡崎で暮らす提案には「自分を待っている人がいる」と断り、東京に残る決意をする。 2度目の大空襲後に浩樹を連れて有森家を訪問し、幸の学校入学前に再婚したい旨を伝え、無事に祝言を終えることができる。 浩樹らと3人で暮らすため、召集が決まった花岡と東京へ戻って行った。 戦後は再び岡崎へと戻り、桜子が「山長」へ戻るまで一緒に暮らしていた。 桜子の結核を知ると「自分が気が付いてやれなかったからだ」と後悔する言葉を述べていた。 手術に立ち会っていたために笛子の亨の出産には立ち会えなかったが、亨の目の異変にはいち早く気が付いて治療を薦める。 勇太郎の出征が決まると真っ先に桜子に電話で知らせてきた。 有森勇太郎(ありもり ゆうたろう) 演 - 松澤傑(少年時代:佐野観世) 桜子の弟。有森家の長男。通称は「勇ちゃん」。少々呑気な面があり、特に母代わりの笛子から心配されている。 桜子の音楽学校合格と同時期に八高(第八高等学校、現在の名古屋大学)に合格。さらには昭和18年頃には東京帝大(東京帝国大学)へと進んでおり、有森家の期待を一身に背負う。なお、学生時代は水滴の研究をしていた。 亨の目の障害の件では笛子と冬吾に批判的であった。 昭和19年頃に海軍への出征が決まるが、直後に終戦を迎えたため、すぐに帰還した。 終戦後は助手として東大に残り、物理の研究に従事。桜子と達彦の結婚式に駆けつけるために久々に岡崎へ戻って来ていた。 桜子が結核を患うと「山長」を見舞いに訪れ、東京で冬吾らの展覧会が成功したことを伝える。 桜子が輝一と隔離されてからは輝一の成長をフィルムに収めていた。 原案『火の山―山猿記』では、語り手(もしくは狂言回し)として重要な役割を担っていたが、姉3人に比べてエピソードが薄くなっている(桜子が嫁入り修業を始めたあたりからしばらく出番がない、学生時代の具体的な描写が省略されている、など)。 有森源一郎(ありもり げんいちろう) 演 - 三浦友和 桜子たちの父。東京帝大卒業。鉱石採集が好きな岡崎市職員。非常に娘思いの良き父親。早くに妻を亡くし、娘たちのために時間の融通が利く職場を選んでいた。徳治郎からは再婚を勧められていたが、桜子を思って独身を貫く。周囲が反対する中、彼だけは理解を示し桜子の音楽家になる夢を応援していた。 台風の救助活動中に落石事故に遭って亡くなる。 死の直前、大金をはたいて桜子のためにピアノを買っており、これが彼の形見となった。笛子が教師を辞し、家計が苦しくなったために売りに出されてしまうが、出征前に達彦が買い戻した。 有森マサ(ありもり まさ) 演 - 竹下景子(語りも兼任) 桜子の母。元小学校教師。 桜子たちがまだ幼い頃に病で他界しており、本編開始時点で既に故人。死後も有森家の人々を温かく見守っている。 有森磯(ありもり いそ) → 鮎川磯(あゆかわ いそ) 演 - 室井滋 桜子たちの叔母。源一郎の妹。おせっかいで世話焼き。ときどき余計な一言を言ってしまう。おだてに弱く、トラブルを持ち込むことも多い。松井かねとは同級で、顔を合わせればいがみ合っているが、本当の気持ちには気が付いている。自称「岡崎初のモダンガール」。いつも派手な衣装を身につけている。 杏子のためにと河原との縁談話を持ち出すも、杏子が河原から暴力を受けていることを知り、押しかけてきた河原から懸命に杏子を守り抜く。 音楽家への道を諦めきれない桜子の姿がかつての自分の姿と重なり、笛子に内緒に学費の援助を申し出るも、これがのちにひと騒動起こしてしまう。 当初は桜子らと同居していたが、姪たち(特に笛子)のことを思い、自ら洋裁店を持って居を移す。 出征した達彦の生死が不明であることを聞くと桜子に伝えた。 かねが達彦の戦死の噂を受け入れて弱気になって桜子に厳しく接するようになると、かねの本当の気持ちを確かめに「山長」へやって来る。桜子がかねにドレスを送る計画を立てたときにも協力する。 かつては東京で生活した経験があり、鮎川周助との間に私生児の和之をもうけたが、息子の将来を思って素性を隠していた。 東京大空襲の知らせを聞くと和之の安否を確かめに桜子と一緒に向かう。2度目の大空襲時にも和之の安否を確かめに単身で東京へ向かい、しばらく和之らのために東京へ残る(しばらく本編には登場しなくなる)。 昭和21年、桜子が名古屋で演奏することを祝ってドレスを贈ってくる。同年4月、久しぶりに岡崎へ戻って桜子の結婚を祝福する。 戦後、周助と正式に結婚。和之には自分が実の母であることをきちんと明かし、東京へと戻った。 桜子が結核を患ったことを聞くと見舞いに訪れ、自身の経験から達彦らに「(子どもを産むのは)理屈ではない」と語った。 沖田徳治郎(おきた とくじろう) 演 - 八名信夫 桜子たちの祖父。マサの父。元八丁味噌蔵元「山長」の職人頭。ときどき有森家には肉の味噌漬けを持参する。典型的な明治の頑固親父(磯曰く「面倒な人」、冬吾曰く「なまはげ」)。男女交際に厳しく、一緒に歩いているだけでも理由を問いただす。仙吉からは「徳さん」と呼ばれる。 冬吾と笛子の結婚に当初は大反対であったが、笛子の決意を聞いたことで結婚を許可する。なお、笛子の妊娠が発覚したときには磯からは「ひいじいちゃん」と呼ばれていた。 桜子とキヨシの縁談話が持ち上がったときには、桜子らを馬鹿にしたかねの言動に腹を立てて追い返した。かねが再度達彦との結婚を願い出たときにも厳しい態度で接していた。 桜子が若女将修業に出たのちは笛子らから頼まれて様子を見に行き、自分で決めたことは最後までやり遂げるように諭し、達彦からの手紙を手渡す。 戦況が厳しさを増すと、味噌を水で薄めようとし、愛弟子の仙吉と衝突する。他の職人たちを食わせてやらなければならないという思いから強行し、「(大事な味噌に)好きこのんで俺がこんなことしてると思うか!」と涙ながら激昂していた。 桜子が「山長」へ嫁いでからはしばらく出番がなかったが、勇太郎の出征を知ると有森家を訪ねて来ており、杏子の再婚時の祝いにも駆けつけていた。 昭和21年4月まで存命であり、桜子の結婚を見届けていた。1人で有森家へ戻ったときにピアノの前でマサの幻を目撃し、孫たちの幸せを噛みしめながら安らかに亡くなった。
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