有森家の人々とは? わかりやすく解説

有森家の人々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:48 UTC 版)

純情きらり」の記事における「有森家の人々」の解説

有森桜子(ありもり さくらこ) → 松井桜子(まつい さくらこ) 演 - 宮﨑あおい少女時代美山加恋ヒロイン有森三女戦争翻弄されながらも一途に音楽愛し持ち前行動力明るさ弛まぬ努力当初クラシック音楽、やがてはジャズピアニスト目指すことになる。 健気ポジティブ決めた事は必ず最後までやり通す意志強さ持っている笛子からはワガママと見られることがあり、初期には衝突する場面多かった)。物語当初は夢を追いかけるあまり周りをみえていない面があったが、冬吾や達彦と接していくうちに大きく成長していく。両親亡き後有森家、さらには松井家と「山長」の精神的支柱となってゆくことになる。 女学生時代下宿していた斉藤直道惹かれ、これが初恋であった斉藤家庭の事情もあって消滅する)。 幼なじみ松井達彦とは当初反発し合っていたが、同じ音楽家への道志し、ともに音楽学校合格目指す。が、桜子のみが不合格となってしまい、再受験の道を選択し日中働きながら西園寺の特別授業を受け、2度目受験見事に合格する。が、笛子教師の職を追われることになってしまい、一家の生活を支えるために入学諦める。 のち、達彦とは出征前に婚約果たし松井家若女将修業始め、かねに認められる通い修業続ける。笛子らが東京へ向かうと1人岡崎に残る。戦時中味噌統制が行われるも、機転利かせて「山長」の危機救い配給滞りがちな中でも醤油作りなどにも着手する笛子東京へ旅立つ身の回り世話をするために後を追って東京へと向かう。 野木山から電報で「山長」へ戻ると経営巡ってタネらから邪魔者扱いされる。加えて達彦の安否不明であることを磯から聞かされ一足先に帰還したキヨシからは達彦の遺書手渡され、一旦は達彦の戦死覚悟するも磯の尽力立ち直る同様に達彦の生存諦め始めていたかねのことを励まし実の娘のように接するうちに心を通わせ合い、「お母さん」と呼ぶ間柄となる。 かねの死後、店も離れ絶望していたところを冬吾励まされたことで恋心を抱くも、笛子のことを思い冬吾への気持ち断ち切る大空襲ニュースを耳にすると笛子らを心配して磯と東京旅立つ笛子らと戻ると西野紹介小学生事務員として働き始めそのまま代用教員として勤務する昭和21年、かねの一回忌帰省した達彦と再会。心に大きな傷を負った達彦を支えていくと決めた矢先正規教員復職伴って代用教員の職を追われ秋山の誘いにしたがって進駐軍相手演奏経験する。 達彦と正式に結婚無事に妊娠するも、結核侵されてしまい、自分と子の命の選択迫られる。それでも前向きに出産による自身への負担顧みずに輝一を産む。が、昭和22年診察時には病状悪化する可能性示唆されるその後隔離されてしまい、本編ではその手我が子を抱くことはできなかった。 最終回では輝一に向けて苦難乗り越えて精一杯生きる人生輝かしさ・素晴らしさ」「たとえ命を失っても、マサから桜子へ、桜子から輝一へと『絆』は音楽中に脈々と受け継がれること」「どんなに辛い時でも音楽続けていれば何時も傍で見守っていること」を語った。 得意曲目は『埴生の宿』。そして『セントルイス・ブルース』である(父のお気に入りの曲でもある)。 最終回静かに息を引き取った思われる。(原案火の山―山猿記』でも同様) 有森笛子(ありもり ふえこ) → 笛子(すぎ ふえこ) 演 - 寺島しのぶ少女時代北乃きい桜子の姉。有森家長女。通称は「笛姉ちゃん」。モデル原作者である津島佑子の母・津島美知子旧姓石原)。 母亡き後家計支えるためにも安定した女学校教師桜子在籍していた)の職に就いていた。 冬吾とは初対面時には気が合わずにいたが、一緒にいるうちに意気投合し紆余曲折あって無事に結婚。のちに3人の子供(加寿子・亨・由紀子)を授かる結婚際し冬吾には「画家としての人生歩んでほしい」との思いから、自分家計支えることを決める。 しっかり者模範的行動良しとしている。テキパキ家事をこなし、料理上手である。妹たちのみならず叔母にもハキハキ物を言う何事もきっちりていない気が済まない几帳面すぎる、かつ頑固な部分がある。当初生真面目すぎて融通利かず桜子からは「角が生えている」と言われ事あるごとに衝突する場面多かった大人しすぎる杏子のことや末弟勇太郎の進路悩みタネであった冬吾結婚してからは夫の影響受けてか、次第に角が無くなり穏和になっていった。が、冬吾過去知られしまって教師の職を追われるそのうちだんだんと冬吾東京行きたいではないか」と考え始め冬吾杏子とともに東京へ向かう。戦況厳しい中、第二子(亨)を出産し、亨の目の障害可能性判明する家計と亨のために冬吾には秘密にして電話交換手として働き始める。 かねが亡くなると桜子東京呼び寄せるために冬吾有森家を訪ねさせる。 大空襲では運良く子どもらと逃げ延びることができ、桜子との再会果たせるが冬吾行方分からずショック受けていた。 大空襲後は家族岡崎へ戻ることを提案郵便配達仕事始めようとする。昭和19年冬吾津軽移り住むことを決めたため、再び桜子離れて暮らす。 昭和21年頃には何人も画商相手冬吾の絵を売り画商らをもてなすうちにすっかり麻雀覚え商売人となっていた。 桜子結婚式出席すると、また津軽へと戻って行き昭和22年、子どもらの夏休み冬吾展覧会兼ねて有森家を訪問桜子結核を知ると当初出産反対の立場取っていた。 杏子再婚には河原ことがあるために否定的だったが、桜子味方をしたことと鈴決意聞いたことで認めた。 「有森家の長女」として気丈に振る舞ってはいるが、意外に打たれ弱い所がある(父からは見抜かれていたようである)。 終盤ではサザエさんのような独特のパーマをかけていた。 最終回では第三子を授かる有森杏子(ありもり ももこ)(一時期 河原杏子かわはら ももこ)) → 鈴杏子すずむら ももこ) 演 - 井川遥少女時代:尾﨑千瑛) 桜子の姉。有森次女通称は「(姉)ちゃん」。大人しい性格自分主張することは少ない。道徳心強く困っている者を放っておけない心優しい人柄自分犠牲にしてまで家族のことを最優先考え傾向がある。「人のために何か役に立ちたい」との思い根底にあり、笛子からは甘い考えだと思われがち。 自分と異なりまっすぐに夢に向かう桜子のことを応援しており、桜子東京生活しているときにはよく手紙書いていた。 桜子勇太郎を進学させるために河原亮一見合い結婚するも、夫から暴力家政婦同然扱い(現在で言うDV)を受けたことが原因離婚するその後桜子影響されたこともあってか、自分で職を得るために産婆資格の取得励み、やがて実家開業する厚意から指圧も行うようになっており、近所老女たちから評判を得るも、冬吾の噂が広がったこともあり、なかなか軌道乗らずにいた。そのうちに「自分東京働きたい」と思うようになり、笛子冬吾東京へ向かい無事に正看護師資格を得る。この頃笛子体調気遣って手紙桜子東京へ呼び寄せる看護の道に進んで東京病院働いていた頃に鈴出会い既婚であることを知ると若干ショックを受ける。 大空襲時には負傷者の手当て従事しており、冬吾処置も行う。また、運び込まれてきた浩2年ぶりの再会をし、孤児の幸とも出会う笛子一家岡崎で暮らす提案には「自分待っている人がいる」と断り東京に残る決意をする。 2度目大空襲後に浩連れて有森家を訪問し、幸の学校入学前再婚したい旨を伝え無事に祝言終えることができる。 浩らと3人で暮らすため召集決まった花岡東京へ戻って行った戦後は再び岡崎へと戻り桜子が「山長」へ戻るまで一緒に暮らしていた。 桜子結核を知ると「自分が気が付いてやれなかったからだ」と後悔する言葉述べていた。 手術立ち会っていたために笛子の亨の出産には立ち会えなかったが、亨の目の異変にいち早く気が付いて治療薦める勇太郎の出征が決まると真っ先桜子電話知らせてきた。 有森勇太郎(ありもり ゆうたろう) 演 - 松澤傑少年時代佐野観世桜子の弟。有森家の長男通称は「勇ちゃん」。少々呑気な面があり、特に母代わりの笛子から心配されている。 桜子音楽学校合格同時期に八高第八高等学校現在の名古屋大学)に合格さらには昭和18年頃には東京帝大東京帝国大学)へと進んでおり、有森家の期待一身背負う。なお、学生時代水滴研究をしていた。 亨の目の障害の件では笛子冬吾批判的であった昭和19年頃に海軍へ出征が決まるが、直後終戦迎えたため、すぐに帰還した終戦後助手として東大残り物理研究従事桜子と達彦の結婚式駆けつけるために久々に岡崎戻って来ていた。 桜子結核患うと「山長」を見舞い訪れ東京冬吾らの展覧会成功したことを伝える。 桜子が輝一と隔離されてからは輝一の成長フィルム収めていた。 原案火の山―山猿記』では、語り手もしくは狂言回し)として重要な役割担っていたが、姉3人に比べてエピソード薄くなっている(桜子嫁入り修業始めたあたりからしばらく出番がない、学生時代具体的な描写省略されている、など)。 有森源一郎(ありもり げんいちろう) 演 - 三浦友和 桜子たちの父。東京帝大卒業鉱石採集好きな岡崎市職員。非常に娘思い良き父親早くに妻を亡くし娘たちのために時間融通が利く職場選んでいた。徳治郎からは再婚勧められていたが、桜子思って独身を貫く。周囲反対する中、彼だけは理解示し桜子音楽家になる夢を応援していた。 台風救助活動中に落石事故遭って亡くなる。 死の直前大金をはたいて桜子のためにピアノ買っており、これが彼の形見となった笛子教師辞し家計苦しくなったために売り出されてしまうが、出征前に達彦が買い戻した有森マサ(ありもり まさ) 演 - 竹下景子語り兼任桜子の母。元小学校教師桜子たちがまだ幼い頃に病で他界しており、本編開始時点で既に故人死後も有森家の人々を温かく見守っている。 有森磯(ありもり いそ) → 鮎川磯(あゆかわ いそ) 演 - 室井滋 桜子たちの叔母源一郎の妹。おせっかい世話焼き。ときどき余計な一言言ってしまう。おだてに弱くトラブル持ち込むことも多い。松井かねとは同級で、顔を合わせればいがみ合っているが、本当の気持ちには気が付いている。自称岡崎初のモダンガール」。いつも派手な衣装を身につけている。 杏子のためにと河原との縁談話を持ち出すも、杏子河原から暴力受けていることを知り押しかけてきた河原から懸命に杏子守り抜く音楽家への道諦めきれない桜子の姿がかつての自分の姿と重なり笛子内緒学費援助申し出るも、これがのちにひと騒動起こしてしまう。 当初桜子らと同居していたが、姪たち(特に笛子)のことを思い、自ら洋裁店を持って居を移す。 出征した達彦の生死不明であることを聞く桜子伝えた。 かねが達彦の戦死の噂を受け入れて弱気になって桜子厳しく接するようになると、かねの本当の気持ち確かめに「山長」へやって来る桜子がかねにドレスを送る計画立てたときにも協力するかつては東京生活した経験があり、鮎川周助との間に私生児の和之をもうけたが、息子将来思って素性隠していた。 東京大空襲知らせ聞くと和之の安否確かめ桜子一緒に向かう。2度目大空襲時にも和之の安否確かめ単身東京へ向かい、しばらく和之らのために東京へ残る(しばらく本編には登場しなくなる)。 昭和21年桜子名古屋演奏することを祝ってドレス贈ってくる。同年4月久しぶり岡崎戻って桜子結婚祝福する戦後周助正式に結婚。和之には自分実の母であることをきちんと明かし東京へ戻った桜子結核患ったことを聞く見舞い訪れ自身経験から達彦らに「(子どもを産むのは)理屈ではない」と語った沖田徳治郎(おきた とくじろう) 演 - 八名信夫 桜子たちの祖父マサの父。元八丁味噌蔵元「山長」の職人頭。ときどき有森家には肉の味噌漬け持参する典型的な明治の頑固親父(磯曰く面倒な人」、冬吾曰くなまはげ」)。男女交際厳しく一緒に歩いているだけでも理由問いただす仙吉からは「徳さん」と呼ばれる冬吾笛子結婚当初は大反対であったが、笛子決意聞いたことで結婚許可する。なお、笛子妊娠発覚したときには磯からは「ひいじいちゃん」と呼ばれていた。 桜子キヨシ縁談話が持ち上がったときには桜子らを馬鹿にしたかねの言動腹を立てて追い返した。かねが再度達彦との結婚願い出たときにも厳し態度接していた。 桜子若女将修業出たのちは笛子らから頼まれ様子を見に行き自分決めたことは最後までやり遂げるように諭し、達彦からの手紙を手渡す戦況厳しさを増すと、味噌薄めようとし、愛弟子仙吉衝突する。他の職人たちを食わせてやらなければならないという思いから強行し、「(大事な味噌に)好きこのんで俺がこんなことしてると思うか!」と涙ながら激昂していた。 桜子が「山長」へ嫁いでからはしばらく出番がなかったが、勇太郎の出征を知ると有森家を訪ねて来ており、杏子再婚時の祝いにも駆けつけていた。 昭和21年4月まで存命であり、桜子結婚見届けていた。1人有森家へ戻ったときにピアノの前でマサの幻を目撃し孫たち幸せ噛みしめながら安らかに亡くなった

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