夫ニケフォロスの死から歴史家となるまで
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「アンナ・コムネナ」の記事における「夫ニケフォロスの死から歴史家となるまで」の解説
1136年、夫ニケフォロスはヨハネス2世のシリア遠征に従軍していたが、体調を崩して都へ戻り、そのまま死去した。ニケフォロスは軍事貴族出身でありながら学問を得意としていたため、義母エイレーネーに命じられてアレクシオス1世の治世についての歴史について書いていた(『歴史』)が、生前に完成させることはできなかった。アンナはそれまで歴史学にはあまり縁がなかったものの、夫の残した『歴史』を引き継ぎ、体験者への聞き取りや宮廷の文書を閲覧(修道院からの外出は許されており、皇帝の親族であったため宮殿に入ることも可能であった)するなどの取材を重ね、『アレクシアス(アレクシオス1世伝)(英語版、ギリシア語版)』(ギリシア語: Ἀλεξιάς)として完成させ、世界史上でも数少ない女性歴史家となった。重要な歴史書を著したヨーロッパ初の女性とされる。
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