夫の自殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 21:50 UTC 版)
妻の死は、2月25日朝の点呼で収容所のザルデルン大尉にも伝えられ、大尉は衛兵の付き添いで現場を訪れた。イルマの遺体は、葬儀を終えた2月26日に九州帝国大学(現・九州大学箱崎キャンパス)の火葬場で火葬された。放心状態だったザルデルン大尉は、2日後の2月28日未明、収容所のドアの蝶番に電線を引っかけて、首を吊って縊死した。遺書によると、夫婦は結婚に際して、どちらかが死んだときは残りも死ぬという契りを結んでいた。夜が明けた3月1日朝7時に衛兵が自殺を発見し、テーブルの上には軍服が折り畳まれ、遺産や遺品に関する内容と、義父カペレと上官、そして2人の息子に宛てた5通の遺書が載せられていた。ザルデルン大尉の葬儀は収容所の講堂で行われ、軍刀を供えた棺に納められた大尉の遺体も、ドイツ帝国の国旗や鯨幕が張られたイルマと同じ窯で火葬され、遺言どおりイルマと同じ骨壺に収められた。わずか数日の間に両親を失った次男は、久留米市に住んでいた別の捕虜の妻に引き取られた。
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