弟との和解・修道院への隠棲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:09 UTC 版)
「アンナ・コムネナ」の記事における「弟との和解・修道院への隠棲」の解説
クーデターに失敗したアンナは逮捕され、財産を没収されたが後に弟と和解し、アンナ自身は財産を返還されたうえで母エイレーネーが建立した修道院(ケカリトメネ修道院)に隠棲し、夫や息子たちはヨハネス2世への出仕を許された。弟ヨハネスが姉に対して寛大な処置を取ったため、ヨハネスは「カロヨハネス(善良なるヨハネス)」と呼ばれるようになった。 修道院へ隠棲したアンナはもっぱら学問に勤しみ、哲学や神学、医学、文学(詩・悲劇・弁論)、占星術など、さまざまな学問を学んでいった。ただ、歴史学については学んだ形跡がなく、ビザンツの歴史家の模範であった古代ギリシャのトゥキュディデスについても自著では言及していない。
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