善良なるヨハネス
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「善良なるヨハネス」と呼ばれて国民に尊敬された長男のヨハネス2世も贅沢を慎み、父の政策を継承して各地へ親征して戦いを進めて小アジアの沿岸部をほぼ全て奪回し、アンティオキア公国に宗主権を認めさせるまでに帝国の勢威を回復した。また北方から侵攻してきたペチェネグ族をベロイアの戦いで(Battle of Beroia)壊滅させ、ハンガリー王国の介入を退けた。 こうして初期の皇帝の治世に帝国は東地中海の大国の座を取り戻し、周囲に帝国の威光を示すことに成功した。首都コンスタンティノポリスは国際交易都市として繁栄し、文化も前時代の「マケドニア朝ルネサンス」を引き継いで古典の研究が進み、文学・美術などが栄えた。
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