十字軍の終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 20:38 UTC 版)
戦闘では勝利したものの、イェルサレム奪還のために進撃を続けるには、エドワードは十字軍内のキリスト教諸国の対立を収めなければならなかった。彼はユーグ3世とイベリン家の対立を調停するなどする一方で、ユーグ3世とともにバイバルスとの停戦交渉も進めていた。1272年5月、カエサリアで10年10か月10日の休戦が合意された。その後エドワードは直ちに弟エドムンドをイングランドに帰還させたが、自らは休戦が履行されることを確認するためしばらく聖地にとどまった。その翌月、エドワードの暗殺未遂事件が起こった。暗殺者を放ったのは、ラムラの太守ともバイバルスともいわれ、暗殺教団の「山の老人」の仕業だったとする伝説もある。エドワードは暗殺者を倒したものの毒を塗ったダガーで重傷を負い、さらに帰国が遅れることになった。1272年9月、エドワードはアッコを発った。途中シチリア島で療養中、彼は息子ジョンと父ヘンリー3世の死を立て続けに知った。1273年になってエドワードはシチリア島を離れ、イタリア、ガスコーニュ、パリを経由し、1274年半ばにようやくイングランドに帰還し、8月19日にエドワード1世として戴冠した。
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