十字軍の時代と王たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:10 UTC 版)
「フランスの歴史」の記事における「十字軍の時代と王たち」の解説
詳細は「十字軍」を参照 西暦1000年、聖書の告知にもかかわらず、キリストの再誕は現れなかったことから、教会への失望と不信がいたずらに増長し、教会の支配権は年々低下の一途をたどっていた。そうした背景から、起死回生の企てとして1096年にローマ教皇ウルバヌス2世によって第1回十字軍遠征がクレルモン公会議で提唱された。フランスからはトゥールーズ伯やフランドル伯などが参加した。1147年の第2回十字軍遠征では、エデッサ陥落の報告を受け、ルイ7世がローマ教皇エウゲニウス3世に十字軍勅書の要請を出し、十字軍が組織され、遠征が行われた。ルイ7世はイェルサレム巡礼を果たすも、神聖ローマ皇帝コンラート3世との内部抗争や無理な攻勢が続き、結果的に遠征は失敗に終わった。 1180年に王位についたフィリップ2世はフィリップ・オーギュストと呼ばれ、この時代に王権は飛躍的に強化された。 1189年の第3回十字軍遠征では、フィリップ2世が神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世やイギリス王リチャード1世らとともに参加した。この遠征ではイェルサレム奪還こそ失敗したが、講和により巡礼の安全確保が行われた。 1199年、フィリップ2世は私生活でのトラブルなどから、インノケンティウス3世から破門と聖務停止を命じられる。 13世紀頃より徐々に王権の強化が進み、イングランド王リチャード1世やジョン王と争ったフィリップ2世は、プランタジネット朝(イングランド王家)の領土であったノルマンディーやアンジューを奪った。また、この頃フランス南部で広まっていたアルビジョワ派が異端とされ、アルビジョワ十字軍が組織された。この異端撲滅闘争は仏王ルイ9世の時代までに完了し、結果としてフランス南部にまでフランス王権が伸張することになった。このように、総じて13世紀におけるフランス王権の強化は、ローマ教皇との連携を前提として進められたものであった。しかし、第6回十字軍・第7回十字軍を行ったことはフランス財政に重い負担を与えることになった。またこの遠征を通じて、ルイ9世は遠征先のチュニスで没した。 11世紀よりフランスに限らず西ヨーロッパは、ピレネーやラインラントでの鉄の生産が盛んになった経緯を受け、13世紀には農村などに鉄製農具が供給された。特に重量有輪犂はアルプス以北などの湿った重い土壌の土地を深く耕すことができたことから普及し、またこの技術を受け、春耕地、秋耕地と休耕地の3つの耕作環境をローテーションさせる三圃制も普及した。こうした技術の変化は、農業の生産力を高め、余剰生産物の貨幣化を通じて農民の荘園への貨幣地代の導入を促したほか、大規模な開墾運動を展開し、新村落(ヴィル=ヌーヴ)が次々に登場した。新村楽では、領主が農民を誘致させるために特許状の配布や、年貢の免除、罰金の減額などが行われた。
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