フランス王権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 07:51 UTC 版)
「フィリップ2世 (フランス王)」の記事における「フランス王権」の解説
フランス王家であるカペー家は、もとはパリ伯で、10世紀にカロリング朝が断絶すると選挙によってフランス王に選ばれたが、その支配地域は本領であるイル=ド=フランスと各地に散らばる若干の王領のみで、ノルマンディー公やフランドル伯といった有力諸侯と同程度の実権しか有していなかった。 歴代の王は王権の強化を図ったが、ノルマンディー公がイングランド王を兼ねて強力な存在になると(ノルマン・コンクエスト)、これに対抗するのが精一杯で思うに任せなかった。父のルイ7世はアリエノール・ダキテーヌとの婚姻で一時はアキテーヌ公領を支配下に加えた。おりしもイングランドはスティーヴン王の無政府時代だったため、王権を回復する良い機会だったが、この好機を生かせず、却ってアリエノールを離縁し、ヘンリー2世と結婚させてしまい、イングランドから南フランスまでを領有する強大なアンジュー帝国を誕生させてしまった。 長らくルイ7世には男子の跡継ぎもなく、このままプランタジネット家に併合されるかという時に誕生したのがフィリップ2世だった。幼いころは病弱で、一時期生命を危ぶまれる重病となり、父のルイ7世はヘンリー2世と戦争中だったにもかかわらず、聖トマス・ベケットの祠に病気治癒祈願するためイングランドへ渡ったほどだった。
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