フランスの等族国家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 23:30 UTC 版)
フランスではカペー朝による王領拡大が諸侯領を破壊する形でおこなわれ、王国に対する国王の支配がより強力であったために、等族議会である三部会では当初から国王が主導的な役割を担い、国王の政策の道具として扱われる側面が強かった。 13世紀後半にフィリップ4世が即位すると、聖職者への課税権を巡って教皇と対立した。教皇の側ではアエギディウス・コロンナ (en) が論陣を張り、一方のフランス王権を支持したのがパリのヨアンネス (en) であった。ヨアンネスは聖職者は単なる精神的権威であるから世俗のことに関わるべきでないとして教皇の世俗への介入を批判し、一方で世俗国家を自然的社会の最高形態であるからその君主は教会による聖別を必要としないと論じた。
※この「フランスの等族国家」の解説は、「等族国家」の解説の一部です。
「フランスの等族国家」を含む「等族国家」の記事については、「等族国家」の概要を参照ください。
- フランスの等族国家のページへのリンク