フランスの苦境
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 21:36 UTC 版)
「ヴェルヌイユの戦い」の記事における「フランスの苦境」の解説
百年戦争のさなか、フランス軍が1415年にアジャンクールの戦いでイングランド軍に大敗すると、フランス北部のノルマンディー地方がイングランドの手に落ちた。王太子(ドーファン)シャルル(後のシャルル7世)に忠誠を誓うアルマニャック派と親英のブルゴーニュ派の内戦に収束の兆しは見えない中、シャルル6世が1422年に死亡すると、王太子は後を継いで新王シャルル7世を名乗ったが、正式な戴冠式は挙げられず、王太子を新王として受け入れたのはフランス南部においてだけであった。同年にイングランド王ヘンリー5世が病死したが、摂政のベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターが幼いヘンリー6世を後見して戦争を継続したため、兵力不足に悩むフランスは同盟国のスコットランド王国に助けを求めた。
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