フランス王立絵画彫刻アカデミー
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「歴史画」の記事における「フランス王立絵画彫刻アカデミー」の解説
この時期のフランスの代表的な歴史画家ニコラ・プッサンは、画家の題材は「高貴な事柄、たとえば合戦や英雄的行為や宗教的テーマを扱っていなくてはならない」と考え、その信念に沿って《アルカディアの牧人》や《フォキオンの埋葬》など数多くの歴史画の名作を残した。この絵画観は、十七世紀のフランスにおいて王家による美術行政を取り仕切ったル・ブランや建築家のアンドレ・フェリビアン・デザヴォーによって王立絵画彫刻アカデミーの基本原理として取り入れられ、以後、静物画や風景画、風俗画よりも歴史画を高く評価する絵画の序列が制度化される。歴史画家でなければアカデミーの教授には任命されえなかったし、サロン(官展)でも歴史画はつねに上位に陳列されたのである。 十八世紀のフランスでは、オランダ絵画の影響を受けた静物画が人気を博し始め、シャルダンやヴァトーが美術市場でも高く評価されるようになっていた。しかしアカデミー側は実質的に歴史画家の特権団体となり、歴史画コンクールの開催や若い画家の古典教育拡充など、様々に歴史画の強化をはかった。十八世紀半ばに奨励される歴史画の題材として王権側が発表した「主題リスト」には、従来のギリシア・ローマの伝説や神話に加えて、フランスの歴史からも選ばれており、歴史画が王政のプロパガンダとしても重要な役割を果たしていたことを物語る。 こうした歴史画の強化政策は、十八世紀のフランスはガブリエル=フランソワ・ドワイアン(Gabriel-François Doyen: 1726〜1806)やフランソワ=アンドレ・ヴァンサン(François-André Vincent : 1746〜1816)のような優れた歴史画家を生み出す。
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