宗教的テーマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 01:57 UTC 版)
「バルナバによる福音書」の記事における「宗教的テーマ」の解説
バルナバによる福音書は学者の間で以外は近年までほとんど知られていなかったが、正統派キリスト教のイエス概念に反論する目的で大勢のムスリムが本書を出版するようになった。概して同書はキリスト教よりもムスリムの従前の考え方とよく共鳴している: 同書はムハンマドの名を予告している; 同書はイエスの磔刑を描くのではなくむしろ天へ引き上げられるのを描いており、これは列王記下第二章のエリヤの既述と類似する; そしてバルナバによる福音書はイエスを「預言者」と呼び、その役目を「イスラエルの家」に限定している。 バルナバによる福音書には、予定説に反対し(第164章)信仰義認には賛成する長大な議論が含まれている; 魂の天国か地獄への永遠の定めは(カルヴァン主義のように)神の恩寵によってあらかじめ定められているのでもなければ、(イスラームのように)地上の信者の信仰に基づいた神の裁きによるのでもない。そうではなく、人は皆最後の審判で判決を受けるが、信仰において応えた者、見せ掛けでない悔い改めを示した者、自由な選択で神の祝福を受けた者は結果として救済されることになる(第137章)と同書は述べている。頑固な自尊心が誠実な悔悟を妨げた者は永遠に地獄に留まる。こうした極端なペラギウス主義は16世紀には後にユニテリアンと呼ばれる反三位一体論的プロテスタントの間でみられた。16世紀の反三位一体論者のなかにはキリスト教・イスラーム・ユダヤ教を調停することを追求した者がいた; バルナバによる福音書で主張されたものと非常によく似た前提に立って、時の終わりまで救済が決定されないままであるのなら三宗教のいずれもその信者にとっては天国への有効な道でありうると彼らは主張した。スペイン人のミシェル・セルヴェは正統派キリスト教による三位一体の定式化を非難した(新約聖書中で三位一体に明らかに言及している箇所は後に挿入された部分のみだということを証明した); そしてそれによってキリスト教徒イスラームの競技場の断絶に架橋しようとした。1553年には彼はジュネーヴでジャン・カルヴァンの権威のもとに処刑されたが、彼の教説はイタリアのプロテスタントの亡命者たちの間で大きな影響力を持った。16世紀後半には多くの反三位一体論者がカルヴァン主義者や異端審問によって処刑されたが、彼らはトランシルヴァニアに亡命しようとして、さらにはトルコの君主権の元イスタンブール周辺に住もうとした。 第145章には「小エリヤ書」が含まれる; これは禁欲生活や隠修生活の精神性の廉直性の勧めを述べたものである。それに続く47つの章では、イエスはオバデヤ、ハガイ、ホセアといった古代の預言者がこの戒律に従う聖なる隠修者だったというテーマを唱道している; また彼らに従った人々―「真のファリサイ派とよばれている」―と世俗世界に住み彼の主要な反対者であった「偽ファリサイ派」とを対照している。「真のファリサイ派」はカルメル山に集まるとされる。これは中世のカルメル会の教説と一致する。カルメル会は13世紀に実際にカルメル山に集まっていた隠修者の集会であった; しかし彼は(根拠なしに)エリヤや旧約聖書の預言者の直接的後継者を名乗った。1291年にはマムルークのシリアへの侵攻によりカルメル山の修道士は彼らの修道院を放棄することを余儀なくされた; しかし彼らは西欧各地に離散する際に―特にイタリアで―西方カルメル会の集会が隠修的・禁欲的理想を大規模に放棄して代わりに他の托鉢修道会の共住生活や宣教を取り入れているのに出くわした。それに続く14-16世紀の論争がバルナバによる福音書に反映されているとみなす研究者もいる。 また、バルナバによる福音書は何度も反パウロ的な論調を示しており、イタリア語版では最初に以下のように述べている: 「悪魔に騙されて信心者の振りをしている多くの者は不信心な説教をしてイエスを神の子と呼び、神によって永遠に定められた割礼を拒絶し、あらゆる不浄な肉を食べることを認める: 彼らの中でもパウロこそが騙されてきた者である。」
※この「宗教的テーマ」の解説は、「バルナバによる福音書」の解説の一部です。
「宗教的テーマ」を含む「バルナバによる福音書」の記事については、「バルナバによる福音書」の概要を参照ください。
- 宗教的テーマのページへのリンク