ルーク・ザ・ドリフター
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「ハンク・ウィリアムズ」の記事における「ルーク・ザ・ドリフター」の解説
1950年、ハンクは「ルーク・ザ・ドリフター (Luke the Drifter)」名義で宗教的テーマでの吹き込みを始めたが、その多くの内容は歌ではなく朗読であった。ラジオのディスク・ジャッキーやジュークボックスの運営者が、これまでとは全く違うこうした作品を取り上げないのではないか、また既に築いた自分の名前の商品価値を傷つけるのではないか、と恐れたハンクは、変名でこうした作品を発表することにした。ルーク・ザ・ドリフターは、特に「The Funeral」という作品がきっかけとなって黒人たちの間で評判になった。これは、黒人教会における子どもの葬儀の際の牧師の説教を表現したものであった。黒人たちの間での人気は、ハンクの師であったルーファス・ペインに示唆を得て描き出された、登場人物のステレオタイプへの反応によるものであった。ルーク・ザ・ドリフターの歌は、しばしば地方独特の生活と、人生の哲学を表したものであった。ドリフター(流れ者)は、この地方を放浪し、様々な人物の話を語っていった。作品の中には、パイプオルガンの伴奏付きのものもあった。一説によれば、ハンクがルーク・ザ・ドリフターという別人格を作り上げたのは、自らの人格のバランスをとるためであったとも言われている。 この頃のハンクは、「My Son Calls Another Man Daddy」、「They'll Never Take Her Love from Me」、「Why Should We Try Any More?」、「Nobody's Lonesome for Me」、「Long Gone Lonesome Blues」、「Why Don't You Love Me?」、「Moanin' the Blues」、「I Just Don't Like This Kind of Livin'」など、それまで以上に多くのヒット曲を送り出していた。1951年には、「Dear John」がヒットしたが、そのB面だった「Cold, Cold Heart」は、ハンク・ウィリアムズを代表する曲になっていった。同年、この曲をポップ系の編曲でカバーしたトニー・ベネットの盤は、27週間チャートに居座り、1位も獲得した。
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