宗教的な次元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/21 04:35 UTC 版)
ケサルの叙事詩は基本的にはチベットの民間伝承のひとつであるが、長い歴史を経る中で仏教の要素が取り入れられ、宗教的実践にも用いられるようになった。 ある学者が記すところでは、「チベットのラマや僧の間でもケサルの叙事詩に対する見解には少なからず相違がある。ゲルク派の大部分は叙事詩を認めていないが、一方でカギュ派とニンマ派のラマたちの間では一般に叙事詩に肯定的で、特にゾクチェン派ではグル・リンポチェの事跡でありまた仏教の教えを広める手段として捉えている。重要なのは、パプトゥン (babdrung、ケサル叙事詩の吟遊詩人)もチョパ (chopa、仏法の人すなわち仏教徒)に含まれるのかという問いに対する答えが、その人の叙事詩に対する賛否に左右されている点である。しかし一般にパプトゥンら自身は、叙事詩にチョ (cho、仏法)と深い関わりがあることを強調し自らをチョパ (仏法の伝道者)であると見なしている。」 チベット仏教徒のひとりであるウーゲン・トプギャル・リンポチェ(英語版) (Orgyen Tobgyal Rinpoche) はニンマ派の見解について次のように述べている: リン・ケサルをアレクサンダー大王や中国の戦神のような、有名な武王または武将と考える者もいる。また、人々に恩寵を与えるために顕現したグル・リンポチェの手でもたらされたテルトン(英語版) (tertön) のようなものだと考える者もある。しかし、私たちがリン・ケサルとして知るものの顕現の本質は、実はダラ(英語版) (drala。チベットにおける下級神の俗称)の形をとったグル・リンポチェ自身による顕現なのである。 チョギャム・トゥルンパ・リンポチェもまたそのようにケサルをとらえ、ナムカ・ティメ・リンポチェNamkha Drimed Rinpocheのためにケサルを中心に据えた修行書『ブッダの事跡の演目の海:偉大なるトントゥプにしてエルマの王にして難敵の馴致者たる戦士ケサルへの日々の祈り(The Ocean of the Play of Buddha Activity: A Daily Supplication to the Warrior Gesar, the Great Being Döndrup, King of Werma, Tamer of Enemies)』を書いた。ナムカは特にケサルに関心が深く、ケサルの兄であるチャツァ・シャカルJatsa Shakarの生まれ変わりであるといわれ、自分はチャツァ・シャカルとして生きた記憶があり、ケサルとともに暮らしていたと主張している。ナムカの観点では、ケサルとは3人の主要な菩薩が具現化 (体は文殊菩薩、口調は聖観音、精神は執金剛神)し、ダラとして現出したものであるという。 のちに西洋において、トゥルンパは自らの『世俗』信仰体系であるシャンバラ・トレーニング(英語版)にケサルを盛り込んだ。
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