宗教的な緊張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 14:57 UTC 版)
カール5世に続いて低地地方を支配したのは長子フェリペであった。フェリペもカール5世の基本路線を継承し、法典や裁判制度の統一をはかり、低地地方を中央集権化しようと試みた。低地地方の政治の実権はグランヴェルなどの寵臣が握っており、オラニエ家などの大貴族と対立した。フェリペは低地地方での支配権を強化するため、低地地方での教区再編を計画し、1559年7月教皇パウルス4世から許可を得た。 これにより低地地方にカンブレ・メヘレン・ユトレヒトの3つの大司教区が新設され、これらの司教区の司教には従来王権の下で異端審問に関与していた神学者が多数登用された。アントワーヌ・ド・グランヴェルもメヘレン大司教となっている。この頃フランスから多数の改革派が流入し始めていたので、宗教的な緊張が高まり、低地地方に不穏な空気が流れ始めた。 1565年フェリペが改めて低地地方での異端審問の強化を命令すると、下級貴族は反発を強め、1566年には異端審問の中止を求める訴状を執政マルハレータに提出した。このとき下級貴族を「乞食」と蔑称したことから、彼らは自ら「乞食党」を名乗るようになった。マルハレータは異端審問の一時緩和を発表したが、これにより改革派が公然と低地地方で活動を開始するに至った。
※この「宗教的な緊張」の解説は、「オランダの宗教改革」の解説の一部です。
「宗教的な緊張」を含む「オランダの宗教改革」の記事については、「オランダの宗教改革」の概要を参照ください。
- 宗教的な緊張のページへのリンク