死の真相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 02:41 UTC 版)
BLLFのカーン代表は記者会見において、イクバルは絨毯マフィアの標的になったとの見解を示しており、新聞報道上では「真犯人は工場閉鎖を恨む工場の経営関係者」と語った。死の数日後のアメリカの新聞報道でも、絨毯工場員の犯行の可能性が示唆された。 こうした見解に対して、警察では絨毯業界の関連を否定し、イクバルの死は行きずりのものと政府で結論づけられた。しかしリーボック人権財団は、イクバルの検死の報告書には、傷の位置や犯行に関する供述があったものの、殺害の理由や方法を結論付けるのに十分なデータとは言えないと見て、検視結果の検証のために法医学専門家たちを派遣した。その結果として「検死報告と警察の報告には多くの疑問が残る」と結論付けられ、50を越える政府や人権団体が警察の捜査を非難した。 パキスタン人権委員会(英語版)は、警察とは別に独自の調査を行なった。イクバルを撃った小作人アシュラフは、イクバルとは初対面であり、自分は絨毯業界とは無関係だと語った。同委員会によれば、アシュラフはマリファナを吸って気分が高揚していたところ、そこへ通りかかったイクバルたちがアシュラフのことをあれこれ言い始めたため、銃を取って撃ったところ、イクバルに命中してしまったのだといい、イクバルの死に絨毯業界は関与しておらず、あくまでアシュラフ単独の犯行によるものと結論づけられた。この調査には、以前によりパキスタン人権委員会はBLLFと非友好的だったという事情が背景にあった。 また、イクバルの生まれたマシー家の祖先は、パキスタンがインドから独立する際に、ヒンドゥー教のカースト制度の最下層民から抜け出すためにキリスト教徒になったという事情があり、イスラム教が中心のパキスタンではキリスト教徒は少なく、宗教的な緊張がイクバル殺害の要因だとする説も唱えられた。 アメリカでイクバルが訪れたブロード・メドウズ中学校では、春休みにもかかわらず多くの生徒が、わずか1日逢っただけのイクバルのために学校に集まり、イクバルの死を明らかにするための嘆願書の署名活動を街中で行ない、人権擁護を目的とした非政府組織であるアムネスティ・インターナショナルへ嘆願書が送られた。 子どもたちは怒っていました。激しく憤っていました。イクバルの殺害は子どもたちに大きな影響を与えたのです。たった一回、一日しか会っていないのに、イクバルは彼らのシンボルとなっていました。イクバルの声とメッセージはみんなの心に深くふれていたのです。子どもはだれでも自由であるべきで、学校へ行くべきだというイクバルのメッセージを、銃弾で封じ込めてはならないと生徒たちは思ったのです。 — ロン・アダムズ(ブロード・メドウズ校の教員)、クークリン 2012, pp. 177-178より引用。 後述するカナダの活動家クレイグ・キールバーガー(英語版)が1995年にパキスタンへ渡って調査した際には、パキスタン人権委員会は、イクバルの死は不幸な事故だと説明し、死の当時にイクバルと共にいた従兄弟も警察に対して同様の証言をしたと語った。またカーンが絨毯マフィアの犯行だとの主張を続けている理由を、人権委員会は、カーンは最初にその立場を取った以上、後からその主張を覆しては都合が悪いこと、または児童労働反対者であるカーンは政府から危険視されており、絨毯マフィア説は政府の主張と逆のため、カーンにとっては都合が良いと説明した。またキールバーガーがイクバルの母に直接取材したところによれば、母は、イクバルの父は麻薬中毒であり、金を握らされて警察や絨毯工場と結託し、カーンとBLLFに敵対する側に回ったと語っている。 また、イクバルが銃撃される直前、彼の訪ねる予定だった親戚の人物が、イクバルは自転車に乗っており、同行していた従兄弟の1人がペダルをこぎ、もう1人は荷台に乗っており、イクバルは自転車の前のハンドルに腰かけていたと証言した。つまりイクバルの背後に従兄弟2人がおり、しかも従兄弟たちはイクバルより大柄であることにも拘らず、イクバルが撃たれた場所は背中である。このことからキールバーガーは、従兄弟たちの陰に隠れる状態だったはずのイクバルが、背中を撃たれたことを疑問視している。イクバルたちが乗っていた自転車は証拠品の1つといえるが、警察ではこの自転車は押収されていない。 その後、当事者たちの供述やイクバルの死を巡る情報は何度も変化し、様々な情報が入り乱れる中、BLLFでは依然として、イクバルの死は絨毯業界によって引き起こされたものと信じられた。児童労働反対運動者たちの多くが、イクバルの死と絨毯業界を無関係だとする主張を、絨毯業界を守るための捏造だと信じている。 多くのメディアがその後もイクバルの死について新たな申立てや説明を行っているが、真相は依然として謎に包まれたままである。
※この「死の真相」の解説は、「イクバル・マシー」の解説の一部です。
「死の真相」を含む「イクバル・マシー」の記事については、「イクバル・マシー」の概要を参照ください。
- 死の真相のページへのリンク