死の直前の様子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 07:19 UTC 版)
ポートモレスビー作戦では、最初こそ日本軍の攻勢は成功したが、補給が続かず日本軍は次第に消耗していく。それでもポートモレスビーが望見できるイオリバイワを攻略したが、堀井少将は作戦開始前から作戦の難しさを理解しており、その為、イオリバイワにおける戦闘が終わり、最終的に食料集めも食料の人力輸送も困難であることが判明すると、堀井少将は手に入れたイオリバイワの陣地を放棄して、9月25日に撤退を開始した。 食料も無く、病人を担いでの撤退は悲惨を極めた。日本軍は飢えや敵との戦いで戦力を減らしつつ出発地点のバサブア・ギルナ・ブナを目指した。 堀井少将は参謀の田中豊成中佐らとともに撤退の途中、11月19日、カヌーでクムシ川を下り海路ブナへ向かったが、11月23日、突風にあおられてカヌーが転覆。泳げなかった田中中佐は間もなく溺死した。堀井少将は従卒とともに海岸に向かって4kmほど泳いだが力尽き、従卒へ「堀井と田中はここで死んだと伝えてくれ。天皇陛下万歳!」と言い残して海中へ没した。
※この「死の直前の様子」の解説は、「堀井富太郎」の解説の一部です。
「死の直前の様子」を含む「堀井富太郎」の記事については、「堀井富太郎」の概要を参照ください。
- 死の直前の様子のページへのリンク