最初の南インド映画
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「南インドの映画」の記事における「最初の南インド映画」の解説
最初のマドラス映画(南インド映画)は、インディア・フィルム・カンパニーを設立したランガスワーミ・ナタラージャ・ムダリアールが監督した『Keechaka Vadham』である。1920年代に入るとタミル語サイレント映画がマドラス周辺で撮影されるようになり、撮影されたフィルムはプネーやカルカッタで技術的処理が行われた。後にプネーやカルカッタでもM・K・ティアガラージャ・バガヴァサール(英語版)の作品が撮影されるようになった。1921年にラグパティ・ヴェンカイアー・ナイドゥとラグパティ・スーリヤ・プラカーシュ・ナイドゥ父子によって初のテルグ語サイレント映画『Bhisma Pratighna』が製作された。ラグパティ父子はヤーラグーディパティ・ヴァラーダ・ラオ(英語版)と共に数十本の映画を製作し、舞台俳優を主要キャストとして迎え入れた。彼らは宗教的テーマを扱った『Nandanar』『Gajendra Moksham』『Matsyavatar』を製作し、宗教を題材にした映画は後年の南インド映画における主要ジャンルとなった。 1918年に初のタミル語サイレント映画『Keechaka Vadham』が公開された。1931年に北インドで初のトーキー・インド映画『Alam Ara』が公開され、同年10月には南インドで初のトーキー・タミル語映画『Kalidas』が公開された。トーキー映画は大衆の人気を集め、1934年公開の『Lava kusa』で初めて南インド映画は興行的な成功を収めた。C・プライアー(英語版)が監督、スリランジャニ(英語版)が主演を務めた同作は記録的な観客動員数となり、勃興したばかりの映画産業を主流文化へと成長させた。同時期に初のトーキー・カンナダ語映画『Sati Sulochana』が公開され、続けて『Bhakta Dhruva』が公開された。両作は興行的な成功を収めたものの、カルナータカでは映画スタジオや技術スタッフ不足のため産業の成長が阻害されていた。『Sati Sulochana』はコールハープルのチャトラパティ・スタジオで撮影され、大半の撮影や録音、ポストプロダクションはマドラスで行われた。また映画製作の資金も容易に集まらなかったため、インド映画におけるトーキー勃興期に製作されたカンナダ語映画はほとんど存在しない。1938年には初のトーキー・マラヤーラム語映画『Balan』が公開された。マラヤーラム語映画は1947年にクンチャコ(英語版)がケーララ・アーラップーザ(英語版)にウダヤ・ピクチャーズ(英語版)を設立するまで、タミル人プロデューサーによって製作されていた。
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