最初の卵巣切開術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 04:03 UTC 版)
「エフライム・マクドウェル」の記事における「最初の卵巣切開術」の解説
1809年12月13日、マクドウェルはダンビルから60マイル (100 km) 離れたグリーン郡のジェーン・クロウフォードの往診を頼まれた。その主治医はクロウフォード夫人が妊娠期間を過ぎていると考えていた。マクドウェルは卵巣腫瘍と診断した。クロウフォード夫人は緩慢で痛みを伴う死から救ってくれるようマクドウェルに依頼した。マクドウェルは彼女の容態を説明し治療法としての手術はまだ一度も成功していないことを話した。世界で最も優れた外科医でもそれが不可能と考えていると告げた。クロウフォード夫人はそれを理解し、手術を望むと言った。マクドウェルは彼女がダンビルの家まで来てくれればその腫瘍を除去すると伝えた。彼女は同意し、60マイルの道を馬の背に揺られて旅した。 1809年のクリスマスの朝。マクドウェルは手術を始めた。当時麻酔法や消毒剤は医術を専門にする者達にも知られておらず、これらの恩恵抜きで手術は進められた。摘出した腫瘍は22.5ポンド (10 kg) あった。マクドウェルはそれを完全に除去するのは難しいと判断した。それで子宮近くの卵管周りを結索し、腫瘍を切開した。腫瘍は子宮と卵管采を大変大きくさせていた。手術全体は25分掛かった。クロウフォード夫人は併発症もなく快復した。彼女は手術から25日後にはグリーン郡の自宅に帰り、それから32年間生存した。これが世界でも初めての卵巣腫瘍除去手術となった。 1809年以前の開腹手術は腹膜炎を起こして全て死に至っていた。このためにマクドウェルが行った処置を理解することが重要である。マクドウェルの説明の中には「こざっぱりした」とか「ちり一つないほど清潔である」といった言葉が入っている。彼はきちんとしただけでなく、細部まで行き届いていた。その手術の報告書では、腹膜腔から血を取り、腸を温水に漬けると書かれている。 マクドウェルはその後2回同様な手術を行った後の1817年になってその手術法の説明を出版した。これは英語の外科学会誌では広く批評された。マクドウェルは少なくとも12回の子宮病理学関連の手術を行ったという証拠がある。 マクドウェルが学会誌に掲載した記事には次のような記述がある。 それほど大きな物質を摘出したのを見たこともないし、これが必要としたような手術の試みや成功例について聞いたことも無かったので、私はその不幸な女性にその危険な容態について情報を与えた。腫瘍は丸見えであったが、大変大きくて全てを取り去ることはできなかった。我々は汚れてゼリー状にみえる物質15ポンド (7 kg) を取り出した。その後卵管を切断して、嚢を摘出したが、これは7.5ポンド (3 kg) あった。5日経って診察に行くと、大変驚かされたことに彼女はベッドを整えているところだった。
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