社会的影響とスター俳優
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:52 UTC 版)
「南インドの映画」の記事における「社会的影響とスター俳優」の解説
マドラス管区はアーンドラ・プラデーシュ州、ケーララ州、タミル・ナードゥ州に分割され、これにより南インド映画は新たな時代を迎え、映画は言語ごとに地域的・排他的に製作されるようになった。1936年までに大衆は映画が宗教的・神話的テーマから離れることを許容するようになり、こうした中で1951年に家族の問題をテーマとした『Jeevitha Nouka』が製作され、これ以前に製作された社会派映画として『Prema Vijayam』『Vande Mataram』『Mala Pilla』が挙げられる。テルグ語映画は禁忌や嫁荷などの社会問題をテーマとした映画を製作するようになり、1937年から1947年の間に製作された96作品中29作品が社会問題をテーマとしていた。インド国民会議のタミル・ナードゥ支部指導者たちはタミル語映画のスター俳優を政治利用しようと試みたものの、農村部の人々にとって映画は馴染みの薄い媒体だったこともあり、この試みは限定的なものに留まった。こうした映画の政治利用の動きは、1947年にインド独立が実現した後に事実上停止された。しかし、1950年代に農村部に電力が供給されると、ドラヴィダ人政党(英語版)は映画を主要な政治機関として活用するようになり、ドラーヴィダ進歩党が最初に映画を政治的に活用した政党となった。ペリヤール・E・V・ラーマサーミ(英語版)の思想に感化されたゲリラ劇場(英語版)の俳優や脚本家は作品にタミル・ナショナリズム(英語版)や反バラモン(英語版)思想を取り入れるようになり、映画では思想家たちが提唱するドラヴィダ人国家「ドラヴィダ・ナードゥ(英語版)」の独立に言及するだけでなく、映画の中で政党のシンボルを表示させることも多く見られた。また、ドラーヴィダ進歩党が映画を政治利用し始めたことでM・G・ラーマチャンドラン(英語版)やS・S・ラジェンドラン(英語版)のように映画での名声を背景に政界に進出する俳優が現れた。 映画が言語ごとに分割される一方、タミル語映画『灼熱の決闘(英語版)』は全言語で人気を集めた。また、ラーマチャンドランはインドで最も記憶に残る俳優の一人となり、その名声を背景に全インド・アンナー・ドラーヴィダ進歩党を結成した。このころ、南インド映画はサティヤン(英語版)やプレーム・ナジール(英語版)の活躍によりマラヤーラム語映画の黄金時代を迎えていた。ナジールは1967年公開の『Iruttinte Athmavu』でインド映画最高峰のスター俳優に挙げられるようになり、ラージクマール(英語版)は『Jeevana Chaitra』『Bangaarada Manushya』など200作品以上の映画に出演するスター俳優として活動したが、彼は政界に進出せず映画俳優として生涯を終えた。2010年代に入ると『Puli』『K.G.F: Chapter 1』『Kotigobba 2』『バーフバリ 伝説誕生』のように南インドだけではなくインド全土で興行的な成功を収める作品が登場した。これらのヒット作のうち、『バーフバリ 王の凱旋』はハリウッドと同質のVFXを駆使して製作された最初の南インド映画となった。
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