宗教的中絶反対派(プロライフ)との中絶合法化維持の是非論争
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「母体保護法」の記事における「宗教的中絶反対派(プロライフ)との中絶合法化維持の是非論争」の解説
1949年(昭和24年)の法改正により、経済的な理由による中絶の道が開かれた。1952年(昭和27年)には中絶を希望する際に、地区優生保護審査会の認定自体を不要となった。このような中絶を容易化する改正がされたことで、経済的な理由による中絶でさえも日本女性は墮胎罪で罪に問われることは無くなり、改正法施行の翌年から日本国の出生数・合計特殊出生率が激減した。背景には急激に妊娠した日本人女性の中絶へ心理的抵抗感が薄れたことにある。その後、高度成長により、経済団体の日本経営者団体連盟(日経連)などからは将来の優れた労働力の確保という観点から中絶(産児制限)の抑制が主張されるようになった。また、プロライフを主張する宗教団体からは、生長の家とカトリック教会が優生保護法改廃期成同盟を組織して中絶反対を訴えた。2022年時点てもカトリックが多数派を占める中南米では中絶が違法な国が占める。中南米で中絶が合法化されたのは、アルゼンチン、ウルグアイ、キューバ、ガイアナに次いでコロンビアが5か国目。メキシコでは、一部自治体で妊娠12週までの中絶が容認されている。カトリック教徒が多数派のコロンビアでは2022年2月21日では24週目までの中絶と、24週目以降のレイプによる妊娠、母体に危険があるとき、胎児が致死性の病気を持っている場合などの特定の状況のみ許可した。宗教的中絶反対論の一方で羊水診断技術の発展により、障害を持つ胎児が早期に発見されるようになり、1960年代後半から羊水診断が日本では実施されるようになった。日本医師会は生長の家などの宗教的中絶反対論には反対しつつ、障害を持つ胎児の中絶を合法化するように提言した。こうした、思惑は違えど様々な改正案の動きがあった。これに対して、全国青い芝の会などの障害者団体は優生学的理由を前面に出した中絶の正当化に対して、逆に中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(中ピ連)やリブ新宿センターなどの女性団体からは、経済的な理由による中絶の禁止に反対した。1970年代から1980年代にかけて、プロライフ・プロチョイス間で激しい議論がなされた。1972年5月26日、政府(第3次佐藤改造内閣)提案で優生保護法の一部改正案が提出された。改正案は産児制限反対の経済団体やプロライフの宗教団体などの意向を反映したもので、以下の3つの内容であった。 母体の経済的理由による中絶を禁止し、「母体の精神又は身体の健康を著しく害するおそれ」がある場合に限る。 「重度の精神又は身体の障害の原因となる疾病又は欠陥を有しているおそれが著しいと認められる」胎児の中絶を合法化する。 高齢出産を避けるため、優生保護相談所の業務に初回分娩時期の指導を追加する。 障害者団体からは主に2が、女性団体からは主に1と3が反対の理由となった。法案は一度廃案になったが、1973年に再提出され、継続審議となった。1974年、政府は障害者の反発に譲歩し、2の条項を削除した修正案を提出し、衆議院を通過させたが、参議院では審議未了で廃案となった。 朝日新聞によると、「胎児条項に反対する障害者団体と、経済条項削除に反対する女性団体が対立する構図ができたが、双方を持つ障害を持つ女性団体が双方の立場を理解して発言し始めたことにより、女性団体は優生保護法がはらむ問題に気づいた。」とし、1980年代になると、女性団体は堕胎罪と優生保護法の廃止に加え、「産む/産まないは女が決めるは胎児の選別中絶は女性の権利には含まれない」と主張するようになった。 宗教団体などによる、経済的理由による中絶禁止運動はその後も続いた。プロライフを支持するカトリック教徒のマザー・テレサは1981年、1982年と二度の来日で、中絶反対を訴えている。一方で日本母性保護医協会、日本家族計画連盟などが中絶を禁止するべきでは無いと主張し、地方議会でも中絶合法化維持を求め、優生保護法改正反対の請願が相次いで採択された。その結果、1981年(鈴木善幸内閣)から再度の改正案提出が検討されたが、1983年5月(第1次中曽根内閣)には、自民党政務調査会優生保護法等小委員会で時期尚早との結論を出し、国会提出は断念された。
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