イクター保有者の権利と義務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 01:43 UTC 版)
「イクター」の記事における「イクター保有者の権利と義務」の解説
イクター制の発展・整備に伴って明確に確立されたイクター保有者の義務がヒドゥマ(軍事奉仕 / Khidma)である。ヒドゥマと呼ばれる「義務」には多様な意味合いが含まれていたが、その根幹を成したのはスルターン(君主)に対する軍事奉仕義務であった。アイユーブ朝では「十字軍の襲来に対する防衛軍を組織する際に、スルターンの命令によって都市の防衛を命じられたアミール(将軍)は自らのイクターから騎士(ムフラド / mufrad、恐らくマムルーク軍を構成する軍人)を動員し、場合によっては都市民や農民も動員した。軍事奉仕の拒否はスルターンに対する反逆とみなされ、動員する騎士の数はイクターから得られる収入毎に決められていた。イクター保有者が戦場から離脱するにはスルターンの許可が必要であり、無許可で離れた場合にはイクターの収入から「不在分」が差し引かれることが規定されていた。このように軍事奉仕義務は単なる観念的なものではなく、イクター保有者に厳格に課せられたものであった。 アイユーブ朝期以降のエジプトでは、軍事奉仕の他に様々な建築事業(イマーラ / ʿimāra)の普請もイクター保有者に課せられており、これもヒドゥマの一種であった。イクター保有者らはスルターンが命ずる工事のために分担して費用を負担して人夫や職人、建築資材を提供せねばならなかった。さらにイマーラの一部としてイクター内の水利設備の維持・管理責任もイクター保有者に課せられており、サラーフッディーンおよびその後継者アル=アジーズに仕えた官吏イブン・マンマーティー(英語版)は村落の灌漑用の土手の管理維持についてイクター保有者と農民(ファッラーヒーン)の負担によってそれを維持すべきことを述べている。他、軍人と同じようにイクターを得たアラブ人部族の首長や地方有力者らは特産品、情報、荷役用のラクダの供出が要求された。 イクター保有者の最も重要な権利はイクターの収入高(イブラ / 'Ibra)から一定の割合で徴収される租税に対する取り分権であった。エジプトではアイユーブ朝期の宦官カラークーシュ(英語版)によってイクターの年収高の表示単位としてディーナール・ジャイシー(dīnār jaish、カラークーシュ金貨)が制定され、彼が制定した制度を基底とした制度がマムルーク朝時代までイクターの収入の表示基準とされた。イブラは現金と現物で示される租税額を元に計算され、その中核を成すのは地租(ハラージュ)であった。イクターとされた土地には地租以外にも人頭税(ジャワーリー / jawārī)が課されていたが、地租以外の租税喉の範囲についてイクター保有者の取り分権が及ぶかは地方や個々のイクターの性質により様々であった。エジプトでは「完全なイクター(イクター・ダルバスター / iqtā darbastā)」としてその土地の税収が完全に与えられるような例が存在したが、一方でシリアではこのような例は見られない。 イクターを世襲する権利の有無もまた、時代と地域によって取り扱いが異なった。シリアではザンギー朝以降、イクターの世襲が頻繁に見られ、スルターンはイクターの所有権を変更する権利は持っていたものの、イクター世襲の伝統に配慮しないわけにはいかなかった。一方、エジプトではイクターの世襲が認められることは非常に稀であり、その所有権も頻繁に変更された。
※この「イクター保有者の権利と義務」の解説は、「イクター」の解説の一部です。
「イクター保有者の権利と義務」を含む「イクター」の記事については、「イクター」の概要を参照ください。
- イクター保有者の権利と義務のページへのリンク