第3回十字軍の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 05:27 UTC 版)
第3回十字軍を巡るさまざまな出来事についての記述は、ノルマン人の詩人アンブローゼやウェールズの歴史家ジラルドゥス・カンブレンシスの著作に見ることができる。 エルサレムこそ奪回できなかったが、ハッティンの戦い以降のサラーフッディーンの破竹の進撃を食い止め、沿岸部の都市のいくつかを取り戻した。特にアッコンを奪回しキプロスを占領することにより、レバント貿易を維持し、以降、100年弱に渡りキリスト教勢力は海岸線を保つことができた。 東ローマ帝国の十字軍への非協力や十字軍側のキプロス占領などにより、東ローマと西欧側の軋轢は一層激しくなった。 ローマ教皇は各国王が主体の十字軍に失望し、再び第1回十字軍のような諸侯十字軍を望むようになった。 十字軍終了後もアッコンに残ったドイツ人たちは、後のドイツ騎士団の基礎となる野戦病院を創設した。 サラーフッディーンはこの戦いで病気がちになり、第3回十字軍の1年後、1193年にダマスカスで死去し、その後は子供らによる後継争いが9年間続いた。結果、アイユーブ朝はアル=アーディルにより統一される。
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