蝗害とは? わかりやすく解説

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こう‐がい〔クワウ‐〕【×蝗害】

読み方:こうがい

イナゴバッタのために農作物が受ける災害


蝗害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 18:21 UTC 版)

蝗害(こうがい、: Locust plague)は、トノサマバッタなど相変異を起こす一部のバッタ類の大量発生による災害のこと。


注釈

  1. ^ 農商務卿と開拓長官を兼務していた西郷従道の命で、「飛蝗駆除世話係」が任命された。
  2. ^ 「発見」したのは、札幌農学校の一期生である田内捨六と内田瀞。
  3. ^ 晩成社の入植地には1年目からバッタが襲来したが、小豆はまったく被害を受けなかった[39]
  4. ^ これに先立った和人の居住例は、1879年(明治12年)音更に住み着いた大川宇八郎の例などがある[40]
  5. ^ たとえば明治16年には150人のアイヌを雇い、124万坪を掘り起こしてサナギを駆除した。サナギの量は2,500石(約450立方メートル)に達した[41]
  6. ^ 当時困窮していた十勝のアイヌが、この日当で潤ったと伝えられている。

出典

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蝗害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 06:35 UTC 版)

チャールズ・バレンタイン・ライリー」の記事における「蝗害」の解説

彼がミズーリ州昆虫学者となった時期ロッキートビバッタ大発生起こった。彼はこの昆虫習性過去発生状況等を調査し、その行動移動予測したまた、対策としてバッタの卵を買い取ることなどを提案ミズーリ州ミネソタ州ではこれを実施し一時的にバッタ卵が通貨として流通したとも伝えられる他の州でも様々な対策取られたが、多く彼の指導元に行われた彼の活動期以降ロッキートビバッタ発生劇的に減少し、ついに絶滅する。これは実際に彼の成果ではない可能性大きいが、彼の活動印象づける効果があった。 また、バッタ大規模な移動をするため、個々の州が対策取って効果上げ難いことから、昆虫学者による国家委員会設立が必要であるとの意見出し、これが後の国家昆虫学委員会つながっている。

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「蝗害」を含む「チャールズ・バレンタイン・ライリー」の記事については、「チャールズ・バレンタイン・ライリー」の概要を参照ください。


蝗害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/27 19:02 UTC 版)

ロッキートビバッタ」の記事における「蝗害」の解説

蝗害 (こうがい) とは、バッタイナゴ大量発生して飛来し農作物などを食い荒らす災害である。「」(イナゴ) の漢字充てられているが、ワタリバッタよるものも蝗害と呼ばれる大規模な蝗害を引き起こした種は世界的に10種類以上が確認されているが、北米大陸ではロッキートビバッタ1種のみである。 蝗害を引き起こす種の一覧については「蝗害#種類」を参照 古くメイン州1743年から1756年にかけて、またバーモント州では1797年から1798年にかけてロッキートビバッタによる蝗害が確認されている (両州とも大西洋側、つまり北米大陸東部位置する)。その後19世紀に入ると西部開拓時代迎えロッキートビバッタ生息適した西方へと農地開拓されていったことから、農業与える蝗害の影響深刻化している。程度に差はあるものの、1828年1838年1846年および1855年大発生確認されており、西部全域その影響広がった1856年から翌57年、および1865年にはミネソタ州に、また1856年から1874年の間にはたびたびネブラスカ州にも蝗害が及んでいる。 大規模な発生最後に確認されたのは1873年から1877年であり、コロラド州カンザス州ミネソタ州ミズーリ州ネブラスカ州を含む広域で、農作物被害額1874年の単年のみで2億ドル上った (2018年消費者物価指数換算する44ドル超に相当する)。ロッキートビバッタは特にムギなどの穀類好んだものの、エサとなるのは農作物だけでなく、革製品木材羊毛なども含まれ、またごく稀なケースでは服を着た人間背面を襲うこともあった。ロッキートビバッタエサにしなかったのは、トマトトウゴマの実、ラズベリーなどごく一部野菜果物限られていた。 翌1875年大発生は特に「アルバート大群英語版)」と呼ばれており、ギネス世界記録登録され数値によると、12兆5千億匹の大群だったと推定されている。なお、2004年公表された別推計によると、アルバート大群は3兆5千億匹だったとの説もある。証言分析によると、地上1マイル (約1.6キロメートル) をロッキートビバッタ大群5日途切れることなく通過しており、この数値からロッキートビバッタは横110マイル (約177キロメートル)、長さ1,800マイル (約2,897キロメートル) の帯状群れ成して飛来したと推定されている。「巨大なのようでもあり、吹雪のようでもあり、蒸気陽光遮っていた」とある農家証言している。 駆除の方法多岐に渡っており、火薬使ったり、塹壕掘ってロッキートビバッタ焼却処分したり、耕作機の一種である「ホッパードーザー」(hopperdozers) も使用された。このホッパードーザーとは、ブルドーザーのような横長の板を馬の後ろにつけて地面掻き出しバッタ飛び上がったところを毒または液体燃料入った受け皿捕獲する仕組みである。また、掃除機のような機械吸い取って駆除することもあった。しかしこれらの駆除方法効果限定的であり、被害食い止めるには至らなかった。ミズーリ州政府所属ロッキートビバッタ対策第一人者として知られる昆虫学者ライリーは、ロッキートビバッタ塩コショウ味付けしてバター炒めるレシピ考案した。このレシピ一般に受け入れられたものの、「このおぞましい生物食してもすぐに腹が減るだけだ」との反応もあった。 1877年ネブラスカ州議会では、16歳から60歳の者は繁殖期に最低2日間は駆除作業従事することを義務付ける、その名も「グラスホッパー法」を成立させ、違反者には罰金10ドル課した同年ミズーリ州ではロッキートビバッタ駆除したに応じて懸賞金制度設けており、1ブッシェル (容積にして約35リットル) あたり、3月には1ドル4月には50セント5月には25セント6月には10セント支払われた。同様にプレーリー地帯他州でも類似の懸賞金制度採用されている。 ライリー働きかけにより、連邦議会下院1877年ロッキートビバッタ研究主目的としてアメリカ合衆国昆虫学委員会英語版)を内務省傘下政府機関として公式に設立した。当委員会では5年間にわたり、包括的な年次報告書とりまとめている。初代議長にはライリー就任したほか、上述トーマス、アルフェウス・スプリング・パッカード(英語版)、ジョン・ヘンリー・コムストック(英語版)などの識者委員務めた

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