唐代三夷教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:52 UTC 版)
唐代三夷教(とうだいさんいきょう)は、中国の唐の時代において、一時唐王朝によって保護され、隆盛した西方起源の3つの宗教である。
注釈
- ^ ネストリウスはラテン語式表記で、ネストリオスはギリシア語式の表記である。
- ^ 「阿羅本」には、アラボン、オロボン、アロペン等複数の音があてられる。英語表記はAlopenである。唐の太宗は、阿羅本を宰相の房玄齢に長安郊外まで出迎えさせたといわれる。
- ^ 「大秦」とは、ローマ帝国のことを意味している。したがって、この改名は、ネストリウス派の起源がペルシアではなくローマ(東ローマ)であることを正しく認識したことに拠っている。
- ^ 佶和は、景教尊経に「宜和吉思法王」と記されている。
- ^ 「大秦景教流行中国碑」が発見されたのは、明末のことである。
- ^ 『水滸伝』は明代成立の伝奇的な歴史小説。作者は施耐庵あるいは羅貫中。「中国四大奇書」のひとつ。
参照
[続きの解説]
「唐代三夷教」の続きの解説一覧
- 1 唐代三夷教とは
- 2 唐代三夷教の概要
- 3 脚注
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