唐令拾遺とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 文芸 > 拾遺 > 唐令拾遺の意味・解説 

唐令拾遺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/17 01:07 UTC 版)

唐令拾遺』(とうれい しゅうい)は、日本の中国法制史学者である仁井田陞が編纂した、早くに散佚した唐令(代の)の佚文を蒐集した書物。1933年(昭和8年)に東方文化学院より出版され、翌年、第24回帝国学士院恩賜賞を受賞した。

成立以前

当初、本書の根幹となる唐令復原作業を提唱したのは、日本法制史学者の宮崎道三郎であった[1]。これは、日本の古代法である律令を、その成立史および比較法制史的な見地から研究する上で、唐や唐令の研究が不可避の領域であるという事情による[1]

実際に、作業に着手したのは、中田薫(1877年-1967年)であった[1][注釈 1]

池田温責任編集の『唐令拾遺補』(東京大学出版会、1997年)に収録されている、中田薫の「唐令拾遺」稿本 引用書目によれば、その引用した原典は、

であった。

成立

1929年(昭和4年)、東方文化学院東京研究所が創設された際、中田薫が、当時東京帝国大学大学院に在った仁井田陞を研究所の助手に推挙した[1][3]。同時に、中田が「唐令の復旧並其の史的研究」を仁井田に委嘱した(『唐令拾遺』中田序)[1]。その期待通り、4年で仁井田は本書を完成させ、中国法制史の研究に多大な貢献を果たすことになった[1]

同時に、厳密なテキスト・クリティークを課し、従来見られなかったような成立年代の比定を行なった。巻末には、75種の書名を挙げる「採択資料索引」および、その版本・所蔵機関が採録されている[1][3]。同様の姿勢は、牧野巽との共著である「故唐律疏議製作年代考」(『東方学報』東京1・2、1931年)にも見られる[4]

本書には、当時新出資料であった敦煌文献が数点含まれている。1937年(昭和12年)発行の『唐宋法律文書の研究』には、より多種の敦煌およびトルファン等の出土の文献が引用されている[5]。ただし貸借・売買などの私法領域の文書ではあるが。

脚注

注釈

  1. ^ 東京大学東洋文化研究所図書室には、1901年明治34年)に書き上げられた中田の署名入り直筆原稿(第2稿)が所蔵されている[2]

出典

  1. ^ a b c d e f g 中田薫『唐令拾遺 序』東方文化学院、1933年、1 - 2頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1454081/1/5 
  2. ^ UTokyo opac(東京大学OPAC)”. 東京大学附属図書館. 2024年6月18日閲覧。
  3. ^ a b 仁井田陞『唐令拾遺 自序』東方文化学院、1933年、1頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1454081/1/7 
  4. ^ 仁井田陞、牧野巽『故唐律疏議製作年代考(上)(下)』東方文化学院、1931年。 
  5. ^ 仁井田『唐宋法律文書の研究 図版目次』1937年、7 -8頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1271576/1/11 

参考文献





唐令拾遺と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「唐令拾遺」の関連用語

唐令拾遺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



唐令拾遺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの唐令拾遺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS