宦官の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:34 UTC 版)
鄭衆はこの功績により鄲郷侯に封じられ、大長秋の官を授けられた。和帝はその後も鄭衆を信任し続けたため、これ以後宦官が政治に深く関わるようになった。鄭衆自身は政治的には確かに有能で、しかも私心のない人物であったから、彼が政治に参与していた間は問題が表面化することはなかったが、それ以降の宦官の多くは、政治的には無能で金銭に貪欲な人物が多く、彼らの跳梁により政治の腐敗が深刻化した。 また和帝が若くして死去すると、幼帝の補佐として和帝の皇后である鄧氏の一族が外戚として政治の実権を握るなど、外戚勢力も復活した。以後の後漢でも幼帝が続き、その度ごとに外戚勢力と宦官勢力との間で激しい争いが続くことになる。
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