徳川時代の隆盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 19:16 UTC 版)
その松平元康も徳川家康と名を改め因縁の地の下地の聖眼寺で牧野家の金扇を馬印にし時の天皇(後陽成天皇)より征夷大将軍の宣下を受けて天下泰平の世が築かれると、三河国吉田城下で吉田山龍拈寺は隆盛を誇った。末寺36、塔頭4院を擁し、朱印25石、興徳寺20石を合わせると45石を有した。吉田三ヶ寺に数えられ、神宮寺(天台宗)・悟真寺(浄土宗)とともに三河吉田藩では代表する寺院であった。
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